エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
サッカー愛にあふれたうんちく話

青春とは頭が真っ白になること

普通の高校サッカー部

私は地元の県立の進学高校でサッカー部でした。

だからスポーツ推薦で入学したような特別な選手がいたわけではありません。

普通の部活です。

それも30年前です。

サッカーが今ほど当たり前のスポーツではありませんでした。

サッカーの情報はサッカーマガジンやダイヤモンドサッカーで得るぐらいです。

それでも私はサッカーに夢中でした。

私の高校のサッカー部は県内で何とかベスト16に入るぐらいで,市内の大会で優勝することも出来ていません。

それでも学校自体が自由な校風だったこともあり,サッカー部は先輩と後輩の垣根は少ないほうでした。

しかし,私が1年生の時の3年生はそうではなく,引退するまではほとんどボール拾いしかさせてもらえませんでした。

地獄のような走りもありました。

まさに昔ながらの部活でした。

得意が生きる

3年生が引退すると2年生が中心になるのですが,2年生は優しくて穏やかな方が多く,1年生も一緒になってプレーすることが当たり前でした。

私は当時からヘディングが得意でした。

というよりサッカー経験が無いので足元の技術が拙いかわりに,気持ちだけはあったのでヘディングすることを怖がりませんでした。

おかげで2年生の試合にストッパー(今でいうCB)として出場できるようになりました。

私の仕事は相手のロングボールやハイボールをはね返すことです。

試合に出られる喜びはこの上なく,一生懸命はね返し続けました。

2年生が3年生になりました。

内容は覚えていませんが,インターハイ県予選で敗退し,引退することになりました。

ポジション変更

ついに私たちの代です。

私は相変わらずストッパーを続けていました。

冬の選手権の県予選での敗退を機に,私の中で変化が起きていました。

それは「FW」でプレーしたいと言う思いです。

なぜかというとチームにはCFらしいFWがいないことで,得点力不足が課題になっていたからです。

私はヘディングは得意でしたし,中学校は陸上部で長距離が専門だったので脚力とスタミナにも自信がありました。

そこでキャプテンに「CFがしたい。」と相談しました。

キャプテンはストッパーがいなくなってしまうこともあり最初は消極的でした。

ちょっとしたケンカもしました。

それでも私が引き下がらないので,練習試合で試してみようと言うことになりました。

当時の私たちの選手の配置は1-4-3-3でした。

と言っても昔なのでディフェンス陣はスイーパーとストッパーがいるダイヤモンド型,中盤と前線は横並びでした。

私はそのCFに入りました。

私は「もっと背後に走れば得点ができる」と確信していました。

それは中盤の真ん中に入っているキャプテンはロングキックが得意なので,彼から相手の背後にパスが来ると分かっていたからです。

私はひたすら背後に走りました。

結果は私の複数得点で勝利です。

相手ゴールの近くでシュートが打てれば得点の可能性は上がりますし,相手が引いてしまえば,キャプテンのロングシュートが効果的になります。

私からしたら当然の結果でした。

この試合がきっかけで私は引退するまでCFとしてプレーすることになるのでした。

これまでの得点力不足が嘘のように得点が安定して奪えるようになったチームは,県内でベスト8に入るようなチームと互角の試合ができるようになりました。

引退をかけた試合

そしてついに最後のインターハイ県予選です。

負けたら引退です。

インターハイ県予選の初戦,私はチームの奇策でいつもと違うポジションにつきました。

確か中盤をダイヤモンド型にした1-4-4-2のような形です。

私は中盤のダイヤモンドの頂点のポジションになりました。

この奇策がチームの歯車を狂わせます。

2トップの二人はウイングタイプなので,ゴール方向へのプレーに適していませんでしたし,私が積極的に背後に抜けるスタイルではなくなったことで,中盤同士でパスは出来るのですが,相手のゴールを脅かすような背後へのパスが出来なくなってしまいました。

私たちは先に失点してしまいました。

後半も残り数分。

いよいよ追い詰められました。

頭が真っ白になる経験

私は前に出ることをキャプテンに伝えました。

仲間も覚悟を決めました。

すると高校生活3年間同じクラスだったサッカー経験者の右サイドバックと目が合いました。

私は迷いなく相手の背後に走りました。

彼も迷いませんでした。

彼から来たパスは私の頭の高さに来ました。

ヘディングシュートするにはまだ遠いと感じた私は,頭でボールを前に持ち出しました。

ボールは相手キーパーの左側に転がりました。

ちょうどゴールエリアの角ぐらいです。

私は迷いなく逆サイドめがけて全力でシュートをしました。

まさに魂を込めた感じです。

ボールはゴールキーパーの右側をすり抜け,逆サイドネットに吸い込まれていきました。

私は嬉しくて仲間の方を振り返りました。

西日がまぶしくてよく見えなかったのですが,あっという間にもみくちゃにされました。

この時間にこんなに速く走る力がみんなに残っていたのか。

得点は特別な力を与えてくれるのです。

ついに同点です。

でももうロスタイム(今で言うアディショナルタイム)です。

私たちは相手がキックオフしたボールを猛然と奪いに行きました。

もう時間はありません。

キャプテンにボールが渡りました。

私はキャプテンをまったく見ないで背後に走りました。

相手の背後を獲ったその時,キャプテンがパスしたボールは私の目の前にありました。

このキャプテンは中学校の時にサッカークリニックで出会った彼であり,社会人になってともに東海リーグ昇格に涙した彼です。

「やっぱりパスが来た。」

そんな感じです。

私はとても落ち着いていました。

慌てて飛び出してきた相手ゴールキーパーの右側に,左足でパスをするように優しくシュートしました。

転がったボールは相手ゴールキーパーの脇を抜けるようにゴールに吸い込まれていきました。

逆転ゴール。

気がつくと私は仲間にもみくちゃにされていました。

どうやってみんなが私のところに来たのか,私はどんな顔をしていたのか,全く覚えていません。

生まれて初めて頭が真っ白になりました。

そのまま試合終了のホイッスルが鳴りました。

あまりにも劇的すぎて,誰もが興奮し,誰もが涙し,訳が分かりませんでした。

これを青春と呼ばずして何を青春と呼ぶのか。

そんな感じでした。

本気がドラマをつくる

インターハイ県予選初戦の勝利は私のサッカー人生で,私たちの高校生活で,一生忘れられない試合になったのでした。

サッカーは強豪校やJ下部など華やかな舞台で活躍する選手にドラマがあるように思いがちですが,そんなことは決してありません。

どんなカテゴリーにもどんな年代にもドラマはあります。

本気でサッカーをすると本気で感動するドラマができる。

だからサッカーは面白い。

そんな経験ができた私は,仲間と共に幸せな高校サッカー生活を満喫したのでした。