エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

言葉

またしても寄り道します。

昨日は話題のドラマ「silent」の最終回でした。

はっきり言います。

1回観ただけでは,よくわかりませんでした。

自分の感性の鈍さが情けないです…。

だからどうしても気になったので,23時過ぎに洗濯物を干し終えた後,TVerで2回目を観てしまいました。

すると1回目では理解できなかった物語の細やかなメッセージが観えてきました。

言葉,目線,表情,振る舞い,風景,全てが視聴者に対して作り手の想いを訴えかけてきます。

聴覚「障がい」者との共生を題材にしているので私たちは勝手にデリケートな作品だと思い込んでしまいます。

でも青葉紬がアルバイトの同僚に対して,「かわいそう」と思うこと自体が「かわいそう」なんだと話したように,生きてきた境遇が違えば分かりあえないことがあって当然です。

だから言葉がある。

でも言葉は音声だけじゃなく,いろんな言葉あって,伝え方もいろんな方法がある。

大切なことは思いを伝える事,いや伝え合う事なんだと。

実は私は小学校教諭時代にやらかしています。

視覚障害の方にゲストティーチャーに来て頂いて,点字の授業をする打ち合わせをしていました。

私は,「校内のどこに点字があれば視覚障害の方の助けになるのか」をテーマにして,授業をするつもりでした。

私は,視覚障害のある方に,

「どこに点字があると便利ですか?」

と尋ねました。

私は答えを待つ前に,

「トイレの男性用の便器に「オトコ」と貼ってあると便利ですよね。」

と悪気無く言ってしまいました。

すると,

「先生,私も人ですよ。便器をわざわざ触りたくありません。」

と静かに,でも呆れるように,語ってくれました。

私はダメ教師です。

視覚障害のある方を,私と同じ「人」として見ていなかったのです。

その出来事は私の教師人生を見つめ直す機会になりました。

実は視覚障害のある方を紹介していただいた方からも,この件でしっかりとお叱りをいただき,若いだけの新米教師の人権意識を丁寧に育ててくれたのでした。

私はこのドラマを観ながらずっと「思いやり」について考えていました。

紬の思いやりと想の思いやりには違いがありました。

紬の思いやりは他者への思いやりであり,想の思いやりは自分への思いやりでした。

紬は他者を全て受け入れようとしていますが,想は他者に自分を受け入れてもらおうをします。

だからこそ「言葉」が必要なのでした。

当時の私は大バカでしたが,あの言葉のおかげで,教師として必要な人権意識を学びました。

もし想が私みたいにバカだったらもっと早くにうまくいったのでしょうが,それだと物語にならないので,まんまと素敵な11話分の脚本にやられましたね。

それにしてもOfficial髭男dismの「subtitle」はすごい曲ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=bU9GahsnvB8&list=RDbU9GahsnvB8&start_radio=1