3 ジュニアユース期
激動のプレジュニア期とジュニア期を終えた私達はいよいよジュニアユース期へと突入しました。
不運にもコロナ禍と重なってしまい,とてつもなく濃い3年間になりました。
しかし、この3年間のおかげで、長男はサッカー選手として私達が求めていた「賢さ」を確かなものにしたのでした。
寮生活を開始
長男は中学校入学と同時に山梨県北杜市小淵沢町に出来たジュニアユースチームの「グランデ・アメージング・アカデミー」に入団しました。
第一子である我が子とたった12年間で別れる寂しさはとてつもなく大きいものでした。
入寮は4月1日までにとなっていました。その日が近づくにつれて私達に複雑な感情がこみ上げてきました。それは祖父母や親戚も同様でした。当の本人は早くサッカーがしたくて仕方がない様子でした。まさに親心子知らずです。
私達は仕事の都合で3月31日を入寮日と決めていました。3月30日には山梨県入りして、観光も兼ねながら甲府のホテルで最後の家族水入らずの時間を過ごしました。
別れの時は遅くてもいいのに、あっという間にやってきます。31日の午後、ついに長男が入寮しました。二男と三男が寮のお風呂に1番乗りで入浴させてもらうというハプニング付きでした。思わず和やかな雰囲気での別れとなりました。
寮のスタッフやコーチが親との別れに名残が惜しくなることを慮ってくれたのでしょう。コーチがすでに入寮していた数人の子ども達を誘ってランニングに出かけました。残った私達は長男の荷物の最終確認をした後、スタッフの方に挨拶をして、寮を出発しました。
「最後にもう一度、長男の顔を見たかったな。」
と私は寂しく思っていました。ここは標高1000mにもなる高地です。白樺の木々の間から澄み切った青空が切ないほど綺麗に見えていました。
私達は自家用車で小淵沢インターチェンジまでの長い坂道をゆっくりと下っていきました。しばらくすると歩道を元気に走る子ども達の姿が見えました。幸運にも別れる前にもう一度会えました。
私は窓を開けて、
「がんばれよ~!!またなあ。」
と大声で叫びました。長男は私達に気がつきました。走りながら笑顔で私達に手を振りました。ルームミラー越しに長男の姿がみるみると小さくなっていきました。
ついに見えなくなりました。
実家までは高速道路をひた走って約4時間の岐路です。これから3年もの間、長男と離れて暮らすことになる現実に直面した私達。
まるでこの世の終わりかのように車中は静まり返りました。
そんな親心をよそに、風呂上がりの二男と三男はすやすやと気持ち良さそうに眠っていました。
可愛さと切なさが込み上げました。
こうして長男のジュニアユース期が始まったのでした。
次回は「エコノメソッドを導入した日本初のアカデミー」です。