エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

しぶりの理由

久しぶりの学校話です。

最近の二男は登校しぶりが強いです。

前日の夜には,

「ああ,寝たら朝が来る。学校行かないかん。」

とぶつぶつ言います。

朝には

「ああ,地獄の始まりや。6限もある。学校なんて何にも面白くない。」

と言ってうつむき加減で歩いていきます。

このようなお子さんは多いのではないかと思います。

ではどうして学校に行くことを嫌がるのでしょうか。

いくつかの理由を挙げてみます。

二男の場合は,単純に勉強が嫌いで家が好きという理由です。

家が好きなのは愛情深く育ってくれて良かったのですが,勉強が嫌いに関しては,まず家庭で「学ぶことの楽しさ」を教えられなかったという後悔があります。

知的な好奇心は子どもそのものです。

二男もそうでした。

でもそこから探求心を持たせたり,問題解決力を育てたり,豊かな想像力を膨らませたり,という発展が出来ませんでした。

それどころかやらされ感や義務感ばかりを感じてしまい,「学ぶこと=めんどくさいこと」となってしまいました。

絵本の読み聞かせをしたり,一緒に探検をしたり,実物を観に行ったりしていたのですが,少しずつ期待していた未来とは違う方向に行ってしまいました。

親子は感情論です。

どうしても感情でぶつかってしまい,客観的に落ち着いて見守りにくくなります。

それも原因だと思います。

だから二男は親とできるだけぶつからないように「やっているふり」を身に付けていきました。

でもテストなどで数値の結果は出てしまいますから「負のスパイラル」となるわけです。

他の理由としては人間関係です。

強制的に集団生活を強いられるわけですから,そこに適応する能力が必要になります。

でも個性はあります。

自分の個性を押さえてでも集団生活に順応していくことはそれなりのパワーがいるわけです。

何とかこなせているのならまだ良いのですが,集団生活をしていると入ってきてほしくないコンフォートゾーンに誰かが侵入してくることもあります。

その場合はコミュニケーションが必要になります。

でも思いが通じにくい相手とのコミュニケーションほどパワーがいるものはありません。

ましてやそれが上手くいくとも限りません。

対友達,対先生,対○○。

いろいろな相手と生活することは想像以上のストレスなのです。

とはいえ公立校の教師としては子ども達に学校に来てほしいです。

子ども達や保護者には学校教育の意義を理解してもらい,「教育を受ける権利」と「教育を受けさせる義務」の関係の中で,なんとかこうとかやっているのです。

おいおい「今回の投稿はちょっといい学校話じゃないやん」となりそうなので少しだけいい話を。

私が担当したAさんはとにかく学校でやらされることが嫌いでした。

授業も掃除も給食も先生や仲間にやらされると感じていました。

だから強く抵抗しました。

歩き回ったり,叫んだり,逃走したり,周りに迷惑をかけるような行動をしました。

それでも彼が学校に来ていたのは家庭の事情で行かざるを得なかったからです。

もしそうでなかったらきっと来ていません。

私にとっては逆に有難いことでした。

学校にさえ来てくれたら学校で何とかできるわけですから。

私はAとはいつもケンカをしていました。

本気でケンカをしていました。

言葉遣いが悪いAは平気で先生に「殺すぞ」と言います。

そのたびに本気で叱っていました。

ただし遊ぶときも本気で遊んでいました。

その子は生き物が好きなので一緒にトカゲ捕りをしたりもしました。

一人の子にだけを特別には出来ないのでついでに周りの子を巻き込んでいました。

Aと一緒にみんなでたくさん遊びました。

Aがみんなに迷惑をかけてしまったときは,なぜAがそんな行動をしたのかをみんなで考えました。

この実践には時間が必要です。

カリキュラムをこなすだけで精一杯な現状です。

それでも絶対にAを置いていくことだけはしませんでした。

そのために子ども達だけでなく他の保護者にも理解を求めました。

学級通信などで日々の学校生活の様子を発信し,子ども達が元気に学んでいることを伝え続けました。

不思議なものです。

Aはそんなに変わらないのですが周りが変わりだしました。

これまでは「Aは私とは違う子」でしたが,それが「Aは人と関わることが苦手な子」へと変わったのです。

だからみんながAを理解しようとし出しました。

なんでAはあんな行動をしたのか?

なんでAはあんな言葉を言ったのか?

Aに寄り添うことで今までは観ようととしなかったAが見えてきたのです。

するとAは集団生活の中で穏やかに過ごせる時間が増えていきました。

きっとAをそうさせていたのは「周りの目」なのです。

その後のAは多少はトラブルもありましたが低学年の頃の荒々しさは減り,仲間と一緒に落ち着いて卒業することが出来ました。

二男の場合,友だち関係は落ち着いているそうです。

だから学校に行ってしまえば人間関係に問題は無いようです。

それでも学校は行きたくない。

二男が学ぶことを前向きにとらえられるようになれるとするなら,おそらくやらされると感じている学習の捉え方が変わることかなと思います。

もしかしたら友だちも一緒にやらされると感じているのかもしれません。

それならば学校はそのことに目を向けるべきかなとも思います。

試験,評価,受験。

日本の学校教育の課題です。

子ども達はある時期が来ると豊かな感性を押さえてでも結果にこだわらなければいけません。

だから先生もつい一般論で子ども達をコントロールしてしまうのかもしれません、

そうやっで子ども達は画一的になっていくのです。

でも子どもが生まれたときに我が子が将来のために画一的になることを望んだりはしません。

だから私たち大人が「いつか役に立つから」とか「今やらないと将来後悔する」とか言う言葉で子ども達をコントロールするのではなく,子ども達が「今,楽しい」とか「もっと知りたい学びたい」という気持ちになる教育をしていくことが大切なのです。

残念ながらそれが二男には出来ていません。

つまり親である私が二男の見方を変わらなければいけません。

うーん。

親子って難しい!!