エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

新解釈「我田引水」

今日はかなり自己満足な内容です。

興味が無い方はスルーしてください<(_ _)>

 

私はまあまあ良い感じのことを言います。

それっぽいことを言って好感度を上げていると思います。

自分に酔って格好つけています。

でも本当の私は「我田引水」です。

よく自分の都合の良いように取りはからったり物事を運んだりしています。

 

その最たる例は「子育て」です。

結局のところは自分の子どもたちが幸せになることが1番の望みです。

そのために都合良く取りはからうこともありましたし物事を運んだりもしました。

自分の子どもが試合に出ていないと残念に思ってチームに文句を言ったり,誰かのせいにしたり,自分の子どもだけが特別扱いを受けてほしいと願ったりもしました。

 

私は聖人君子ではありません。

いつも嫉妬心や自己顕示欲に心が揺れてモヤモヤしています。

ブログでこの内容を投稿しようと思ったのは,いつもそれっぽいことを言っている自分への「戒め」です。

このブログをたくさんの方が読んでくれるようになりましたし,ツイッター(X?)も1000人以上の方がフォローしてくれましたから,この機会に私自身をきちんと理解してもらおうと思いました。

 

私はいたって普通のちょっと痛い性格の人間です。

3人の子どもに偉そうに説教やうんちくを垂れているいたって普通の親です。

だから私が綴る言葉は,そんな人間であり親が綴っている程度の言葉だとご理解をしていただきたいです。

だから遠慮なくスルーしてください。

適当につまんでください。

あしらってください。

私からしたらそれでも十分なんです。

 

そんな私は「我田引水」を以下のように解釈をして自己満足をしています。

 

米作りには水がいります。

どうしても自分の田に水を入れないと米が育ちません。

米が育たないということは食料が手に入らないということです。

食料が手に入らないということは家族が生きて行けないということです。

だから私は自分の田に水を入れます。

たとえそれが自分の都合だと言われても入れます。

それが親です。

その水で子どもが幸せになるのであれば,私はなんと言われても我慢します。

本当はかなり心が痛いですが我慢します。

それが親です。

 

どうでしょう。

この解釈もかなり「我田引水」ですね。

ただし何度も言いますが私は聖人君子ではありません。

完璧な人間ではありません。

だから今の私に出来る事を精一杯やるしかありません。

それが今の私なんです。

 

ふう~。

ずっとずっとため込んでいた胸の内を綴ってしまいました。

ちょっとすっきりしました。

最後まで読んでくれた皆さん,おつきあいありがとうございました。

こんな私ですがどうぞよろしくお願いします。

一度しかない人生をともに紆余曲折しましょうね。