エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ちょっといい学校話

不適切にもほどがあるほど「本気」で向き合う

私は今年で50歳になります。

子どもの頃に想像した50歳はかなりの貫禄だったのですが,自分が実際にそうなると全く貫禄無しを実感します。

ただ年齢を重ねただけ。

見た目が老けただけ。

どうにも締まらない50歳になりそうです。

 

そんな私にも青春時代がありました。

小中学生の頃は先生に叱られるときはよくぶん殴られました。

今では考えられません。

中学校は男子は坊主頭にすることが義務付けられていました。

今では全く考えられません。

そんな時代だったんです。

誰もが人権感覚が麻痺していました。

高校の部活動では,水を飲むことが許されず,先輩に無意味に走らされ,命令に従わなければ罰を受けていました。

むちゃくちゃです。

どうして誰も間違っていると言えなかったのでしょう。

きっと恐るべし集団心理だったのでしょうね。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」みたいな。

ただし,全てが悪だったわけではありません。

間違いなく当時は今よりも生き方がシンプルでしたし善悪がはっきりとしていました。

良いものは良いし,悪いものは悪い。

そんな時代でした。

 

「褒めて伸ばす」と言う言葉あります。

私はこの言葉に違和感しかありません。

褒められたら嬉しいし,もっと頑張ろうと思います。

だから褒めること自体はとても良いことです。

でも私が違和感を感じていることは「褒めなきゃ伸びないのか」と言うことです。

そもそも伸びたいと思っているから伸びるのであって,褒められることはあくまでもより伸びるためのスパイスのようなものだと思うのです。

 

「褒めて伸ばす」の弊害が「叱られると縮こまる」です。

別に縮こまらせるために叱っているのではなく,叱る必要があるから叱るのです。

叱るべき時に叱らなかったら,その人はどうなるのでしょう。

例えば,小学生の子どもが自身の怒りに任せて相手に暴力を振るったとします。

その子が暴力を振るうほど怒りを持った理由には必ず寄り添う必要があります。

それをしなければ一方的に悪になってしまいます。

その子はきっとひねくれるでしょう。

でも暴力を振るわれて痛みを感じた人にも寄り添わなければいけません。

痛かったでしょうし,怖かったでしょう。

恨みもわくでしょう。

保護者の方も納得しないでしょう。

だから毅然とした態度で暴力を振るったことは叱らなけれればいけません。

そうしなければ,怒りにまかせて暴力を振るうことは間違いではないとその子どもに学ばせてしまうことになってしまいます。

 

叱ることは褒めることよりも体力が入ります。

勇気も入ります。

覚悟も入ります。

もしかしたらハラスメントと言われてしまうかもしれません。

でも,そこから逃げてしまったら,これから先はずっと,子どもに「あなたはどうせ私のことを本気で叱れないんでしょう」と見透かされることになるでしょう。

私は決して褒めることを否定しているわけではありません。

悪いことをしたら叱るし,良いことをしたら褒める。

本当にそれだけで十分なんです。

これからは「褒めて伸ばす」ではなく「本気で向き合う」ことを推奨します。

さて今日はお楽しみの「不適切にもほどがある」の放送日です。

https://www.tbs.co.jp/futekisetsunimohodogaaru/

このドラマは不適切な表現がたくさんあります。

私の青春時代そのものです。

でも突き刺さる名言もたくさんあります。

今日も本気で楽しみます!!