エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
(仮の題名)「サッカーが大好きな国でプレーするまでの話」

ジュニア期を終える

ジュニア期を終える

振り返ってみるとプレジュニア期からジュニア期にかけて我が家は激動と言っていいほどの時間を過ごしました。行動すれば世界が近づくことを実感しました。それと同じくらい行動すればするほど現実の厳しさも知りました。私や長男がどんなに願っても実際はどうしようもないことがありました。私達は運が良く、長男が中学校に入学するタイミングで学びたいサッカーを学ぶことが出来るアカデミーが山梨に出来ましたが、そうでなければきっと今の長男はいなかったと思います。行動することと同じぐらい運も必要です。ただし、その運は行動した者にしか訪れないことも学びましたから、私達の歩みは信じた道を疑わなかった歩みでもあると言えます。

長男のジュニア期は幸せな終わり方にはなりませんでした。長男が小学校1年生から所属した街クラブにはジュニアユースチームまでありました。長男は別のジュニアユースチームに進むので、卒団までの数か月間は5年生と一緒に練習をすることになりました。このクラブのジュニアユースに上がる仲間はジュニアユースの練習に参加していました。長男からしたら同じクラブ同士でこのような扱いを受けることが理解出来ませんでした。このクラブでプレイする楽しみを完全に失っていました。それは私も同じでした。私が作ったチームの存続と成長は嬉しいのですが、この扱いには不満を感じていました。もはやこのクラブに未練を全く感じなくなっていました。

結局,2月末にクラブとはケンカ別れのような形で、長男だけでなく二男と三男もチームを辞めることになりました。長男は卒団式を目前にしていましたから、なんとも残念な辞め方になりました。長男の気持ちはすでに気持ちは山梨へと向いていたので、やる気を感じないまま卒団式までの期間をこのクラブで過ごすことは無駄のように感じました。時間は有限です。私達は刺激的な未来の始まりへの準備を半ば強引に始めたのでした。

ちなみに長男は小学校の卒業式で、

「イニエスタ以上の選手になるために山梨でサッカーを楽しみます!」

と宣言しました。例年通りなら卒業する子どもたちは保護者や先生に6年間の感謝の言葉を言うのですが、長男はそんなありきたりな言葉よりも、自らの目標を堂々と語ったのでした。長男のことをよく知っている保護者の方からは

「よく言った。素晴らしかった。感動した。応援している。」

と言ってもらいました。

こうして長男のジュニア期は終わったのでした。