エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
願いや悩みをゴールへ繋ぐ話

親の思いとこどもの思い

こどもの成長は早い。

この言葉を実感するのは,こどもが大きく育ってからです。

当時は必死過ぎて,覚えていないことばかりです。

「早くおむつが取れないかなあ。」

「首が座らないかなあ。」

「寝返りできないかなあ。」

「何でも食べられるようにならないかなあ。」

「歩けるようにならないかなあ。」

「話ができるようにならないかなあ。」

「自転車に乗れるようにならないかなあ。」

なんて考えては早い成長を望んでいました。

きっと親に追いついてほしいという願いだったのでしょうね。

 

でも今は違います。

成長が嬉しいのは変わりませんが,親を超えてほしいと願うようになりました。

私なんて大した生き方ではないので超えるなんて簡単だと思いますが,私が経験したマイナスの出来事を回避させたいという親心が生まれてしまいます。

それが良い大学に入ってとか,いい会社に入ってとか,幸せな結婚をしてとか,になるのでしょうね。

親を超えるとか,マイナスを回避するとかって,完全な親のエゴですよね。

あの小さい身体を愛おしく抱っこしていた時や,小さな爪を丁寧に切っていた時とかは,そんな事を微塵にも思わなかったです。

ただただ健康でいて欲しい。

それだけでした。

 

親は,少しずつ少しずつ他のこどもと自分のこどもを比べるようになり,自分のこどもを通して優越感に浸りたくなります。

私もそうです。

長男がプロサッカー選手になったときなんかは,まるで自分のことのように誇らしくなりました。

ホントに誇らしいのは長男のはずなのに。

まるで私のおかげのような気持ちになりましたから親心は恐ろしいです。

決して悪いことではないですが,度が過ぎるとこどもを苦しめることにも繋がると思います。

私は自信を持って言えます。

間違いなくこども達を苦しめてきました。

 

こどもにはこどもの人生があります。

親がいつまでもこどもの心配をするのは勝手ですが,こどもを支配し続けることは不可能です。

超えるとか超えないとか,良い大学とか良い会社とか,親が敷いたレールを歩ませたい気持ちは一度,横に置いときましょう。

それよりも,一緒に喜んだり,一緒に悲しんだり,一緒に怒ったり,一緒に笑ったりする時間を大切にしてみてはどうですか。

こどもは仕事や家事で頑張る親の姿も確かに見ていますが,自分のことを大切にしてくれた時間の方がより嬉しかったりもします。

仕事や家事でかっこいい姿よりも,一緒に過ごした時間の方が価値が高いなんて不思議ですよね。

一緒にゲームしたとか,一緒にご飯を食べたとか,一緒に寝たとか,一緒にお風呂に入ったとか,そんな時間がこどもにとってはとても大切なのです。

こどもは親の偉大さなんて全く望んでいません。

傍に居てくれるだけで良いのです。

前職中ではそのように考えて保護者と接していましたが,いまいち伝わっている感覚がありませんでした。

今だから分かります。

私は職業として保護者と接していただけで,保護者の本音により添えていなかったのでしょうね。

良いことばっかり言う先生はちょっと重たいですよね。

 

先日,長男と初めてゲームをしてみました。

我が家は自制できるまではゲーム禁止の家だったのでとても新鮮な時間でした。

長男もすごく楽しそうでした。

「ああ,こんな時間が大切だったんだ。」

ようやくそんなことを実感できました。

本来の成長とはこういうことなのかもしれません。