エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

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先生としての25年間

私は大学を卒業してからずっと25年間小学校の教諭をしてきました。もはや人生の半分以上を先生として生きてきたことになります。それはとても誇らしい人生です。

これまで私の教え子になってくれた子どもたちや私のつたない指導を温かく支えて下さった保護者の方々には感謝しかありません。また,教員免許を所得するために学費や仕送りをしてくれた両親にも頭が上がりません。

私はたくさんの方々に支えられて先生として今まで生きてこられたのです。

サッカーが好き

しかし,私は25年間ずっともやもやしていました。

それは,そもそもが先生として生きることが私のライフワークなのかという疑問です。

当然子どもはかわいいし,教えることも嫌いではありません。

それでもずっと心に引っかかっていたのは「サッカーが好き」という感情です。小学4年生でサッカーに出会って以降,この感情がぶれることはありませんでした。

大学生時代に私の心の弱さが原因でサッカーで生きるという道をあきらめたことがずっと後悔の念として残っていました。

これが最後のチャンス!

そんな中,私の子どもがプロリーグ入りを目指している「奈良クラブ」と言うチームのユースとジュニアユースでプレーすることになりました。このチームにはまだ専用の寮がありません。ましてや二男はまだ義務教育中です。

私の中で何かが大きく動きました。

「サッカーで生きる最後のチャンス!」

私は家族と何度も何度も話し合いました。

経済的な理由はとても難しい問題でした。私は公務員でしたし,妻と子どもが3人います。そんな私が無職になるということがどういうことかは御察しができると思います。簡単ではありません。ましてや長男は高校入学と共に奈良県に引っ越しになりますが二男は慣れ親しんだ学校を転校になります。

ぎりぎりまで決断はできませんでした。

50歳を前にして主夫になった

私は長男と二男と一緒に主夫として奈良県民になりました。2人のサッカーライフをサポートするサポーターになりました。

これが私が出した「サッカーで生きる」という道です。

しかしながら,「人生は一度きり」と言えば聞こえはいいですが,今の私は完全な無職です。無収入です。

みなさん,知っていましたか?所得税や住民税,社会保険など無職になっても払わなければいけないことを。恥ずかしながら私はちゃんと知りませんでした。

特に退職1年目は昨年度の所得が関係します。私の所得は…。「生きるには金がかかる」ことを恐ろしく実感しました。

あのまま公務員を続けていれば1円のありがたみを自覚しないままおじいちゃんを迎えていました。今さらながら社会勉強をしています。

というわけで生活費やサッカーの活動費等はすべて私たち夫婦の蓄えや私の退職金,妻の収入に頼るしかありません。これまでに感じたことのない不安です。

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私は退職したら今までしなかったことをやろうと決めていました。その一つがフェイスブックでありツイッターでありブログでした。仕事上控えていたSNSの活用です。

私は25年間,学級通信を書き続けてきました。学級通信を通して子どもや保護者とつながってきました。だから自分の考えを文章で表現することには慣れています。

そこでSNSを使って私が考えていることを発信していくことで,これまで蓄えた自分の経験(財産)を皆様に伝えたり,これから体験していく未知の出来事を紹介したりすることで,50歳を目前にして先生を辞めてサッカーと言う好きなことで生きようとしている自分の「新たな可能性」を広げようと考えたのです。

ブログは私にとって新たなチャレンジです。

これは今の私だからこそできることでもあります。このチャレンジが必然であり自分の人生を豊かにしてくれるチャレンジになることを願っています。