エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
サッカー愛にあふれたうんちく話

県リーグ初優勝までの歩み

県リーグ登録

FCペルソナはフランス語のpersonnalité(意味:人格)を参考にしました。様々な人格が集まったサッカーチームと言う意味です。

大学を卒業したばかりの私の同級生と一緒に作ったチームです。それはそれは個性的な人格が集まりました。チームを一言で表現するなら「若い」。もしくは「やんちゃ」でした。

チームの代表は高校時代のサッカー部のキャプテンが務めてくれました。彼はセルジオ越後さんのクリニックで出会った彼です。

私は勤務校が三重県の北部で一人暮らしをしていましたので役割は選手のみでした。

チームはいよいよ県リーグ登録を果たし,リーグ戦へと準備を進めました。

社会人リーグ優勝を目指して

練習日はナイターがあるグランドの都合で水曜日と土曜日でした。私は土曜日のみ参加し,試合に臨むという日々でした。

当時の三重県リーグはたしか3部(もしくは地域リーグ)までありました。年間で10試合程度行いながら勝ち点が上位のチームが上のリーグに上がっていく仕組みです。

私たちは毎年上のリーグに昇格し最短で1部リーグに昇格を果たしました。

「若さ」や「勢い」は想像以上の「力」になることもあります。私も小学校に勤務しながら地元での練習や三重県内の各地で行われる試合に通うことは大変に感じていましたが,年々昇格していくチームでプレーすることに楽しさを感じていました。

県1部リーグからあっさり降格

意気揚々と1部リーグに挑みましたが,全く歯が立ちませんでした。他のチームはチーム戦術があり,技術レベルも高く,したたかでした。

私たちは,確か中盤がダイヤモンド型の1-4-4-2でしたが,なぜそのシステムにしていたのかも明確ではなく,負けを重ねていきました。

若さや勢いだけでは通用しないことを痛感し,チーム戦術を明確にしていかなければいけないことを学んだ1年でした。

守備を武器に1部に復帰

私たちは降格した2部リーグを1年で突破してすぐに1部リーグに復帰しました。

2回目の1部リーグは,ディフェンスラインで奪ったボールをキープ力の高いFWの選手に預けてから攻めるロングカウンターを武器に戦いました。

チームの戦術は分かりやすく言えば「堅守速攻」です。というのも自分たちがボールを握りながら攻めることは私たちの技術的には難しいことが分かっていたのと,ディフェンスラインには対人に強くカバーリングができて走れる選手がそろっていたことが理由です。

これが見事にはまりました。この年は最少失点で3位に入りました。

念願の県リーグ初優勝,そして・・・。

翌年,「堅守速攻」はチームの代名詞になっていました。攻撃時のカウンターも鋭さを増し,過去に東海リーグに所属していたチームに対しても2試合とも1対0で勝ち切るほどでした。

そしてついに県リーグ初優勝を成し遂げたのでした。

そのころの私はチーム代表者を兼任していました。学校の仕事との両立は大変でしたが初優勝はとても誇らしいものでした。

しかし東海リーグへの入替戦は残念な結果になりました。運悪く白線が見えないほどの大雪だったのです。会場に到着するだけでも一苦労でした。チームは落ち着きをなくし,普段の堅守速攻も思うように機能せず,残念ながら0対1で敗退してしまいました。

この敗戦は二つの感情を芽生えさせました。

「よくがんばった。上等だ。」と「来年こそは東海リーグ昇格」の二つです。

チームとしては県リーグ初優勝を成し遂げて順風満帆のように見えましたが,設立当初のメンバーが減り選手の若返りが進んだことで,来年度へのモチベーションがチームとして統一できなくなってしまったのでした。

そんな時です。思いがけずチームは新たな方向に動き出すことになるのでした。