先生をやめる
すごく悩みました。
これまで経済的に安定していたので,やめる前は怖い夢を見て起きる子どものような不安がありました。
でも,やめてみて分かったことがあります。
常に評価されていると感じていたストレスから解放
先生になってからの私は授業をすることが1日のほとんどでした。
授業をするということは,私が子どもを評価する以上に,
子どもたちから評価され,保護者から評価され,同僚の教職員から評価され,管理職から評価される
ということです。
素晴らしい授業なら良い評価。そうでなければ悪い評価。
指導のプロなのでそれぐらいの覚悟が必要なことは百も承知です。ですが,徐々に私の心はかさぶただらけになっていきました。
決して子どもが嫌いなわけではありませんし,先生になるぐらいなんで指導も好きです。
問題は評価です。
その人の「能力を評価」することがストレスにつながることもあるのです。
先生がそう感じているのですから,子どもたちも評価にストレスを感じているはずです。
だから,皆さん。評価にはくれぐれも気をつけましょう。
時間を自分でコントロールできる
私は大学を卒業してすぐに教師になりました。だから,幼稚園から先生をやめるまでずっと「学校の時間割」の中で生きてきたのです。
「登校し,チャイムと共に行動し,下校する。」
これが私の人生のサイクルでした。
では,今の私はどうでしょうか。
決してチャイムはなりませんし,登校することも下校することもありません。
ということは時間割を組むのはすべて自分だと言うことです。
勘違いすると恐ろしいことになります。
例えば大学生のころ,前日に友達と飲みすぎて目が覚めたら昼過ぎだったとか。
親が聞いたら怒るかもしれませんが,私はそんなありがたい時間を過ごさせてもらっていたのでした。
今の私はやろうと思えば大学生のころのようなことも出来てしまいます。
二男は中学生なので学校の時間割があります。登校時間を守るために生活をしています。だから一応大丈夫。
しかし,長男はインターネットを使った通信制高校なので,気をゆるめると恐ろしいことになります。
現在の私は先生のころの経験をいかして,自分たちで時間割をたてて「時間をコントロール」して生活をしています。だから,かなり主体的な生活になっています。
この写真は,午前中の時間割「公園でトレーニング」の一コマ。「体育」と言ってもいいのかもしれません。いや「総合的な学習の時間」かな(笑)
この生活スタイルが,どんな結果になるかはまだ分かりませんが,時間の流れ方は人によって違うことが実感として分かりました。
人とのコミュニケーションは自分から作らないとできない
学校にいるころは毎日たくさんの子どもたちとコミュニケーションをとっていました。人と会うことは日常であり,それも仕事の一部でした。
今の私は長男と二男以外の人と会って会話する機会はすごく少ないです。家族以外の人と一度も会話しない日もあります。
では,それがストレスかと言うと私はそうでもありません。人それぞれだと思います。
でも,通信制の高校に通っている長男にとってはどうでしょうか?
彼は中学校の3年間,寮生活をしていたので,プライバシーがほとんどない生活でした。それが急に家族だけ、それも私と二男のみの生活になったのでちょっと心配です。
長男は今のところ家族との時間を取り戻している感じですが,これからは少しずつ外部とのコミュニケーションの機会を自分で作っていってほしいなと思っています。
例えばアルバイトとか。ただし,それもやらせるのではなく,やりたいという気持ちを優先します。
ちょっと寄り道
今日はつつじの花がきれいに咲いている公園で長男と気持ちよくトレーニングしました。こんな時間にこんな場所でこんなことをしている自分。
こんな未来はまったく予想できませんでした。これからの未来もまだまだ予想できませんが,肩の力を抜いて時の流れを感じながら,主体的に「寄り道」を楽しんでいきたいなと思っています。