ふつうの社会人チーム事情
当時のFCペルソナは会費制です。
年間数万円程度の部費をチームに払い,県リーグ登録費や選手登録費,ユニホーム代,グランド代等もろもろにあてます。
高校や大学を卒業したての選手は,サッカーをするのにお金を払わなければいけないことをほとんど知りません。だから持論ですが,自立したサッカーの始まりは社会人になってからだとも言えます。
ちなみに,このユニホームはチーム設立当初のユニホーム(青)と県1部リーグで初めて3位に入った時のユニホーム(白)です。
これらも当然自費です。
ユニホームはホーム用とアウェー用を用意しなければいけませんので,それなりの額になります。だから,メーカーなどもよく吟味しますし,カッコいいからと言う理由では採用できません。
意外と知られていませんが,審判も各チーム当番制ですので審判服はチーム持ちです。
また,JFAへの登録事務やサッカー協会の会議,イベント補助などもあります。
当時,チームの代表をしていた私は色々と兼務していました。
目標であった県リーグ優勝を果たしたことで負担を軽減したい気持ちが強くなり,若い選手達との想いのずれもモチベーション低下へとつながっていきました。
教諭としての仕事も年々多忙になっていたので,今まで通りチームを継続していくことが難しい状況でした。
そんなときチームが新たな道へと動くきっかけが起きます。
スポンサーをつけるということは
それがチームにスポンサーをつけるという動きです。
これまでは選手の会費で活動していましたが,費用面でスポンサーの支援を受けることができます。
とても有難い反面,この動きには肯定的な選手とそうでない選手がいました。
それは当然のことでスポンサーがつくと言うことは,スポンサーの意向がチームの方向性を決めていくことになると言うことです。
私たちは普通の社会人サッカーチームであり,自分のためにサッカーをしています。誰かのためにサッカーはしていません。
私たちは何度も何度も話し合いました。
そして,再来年度からプロ監督を招聘し,スポンサーをつけて新たな道へと歩むことを決めたのでした。
それは趣味が趣味で無くなった瞬間でもありました。
希望と戸惑いの新体制
1年後,新体制への最低条件だった県1部リーグ残留を決めたチームは,新たに立ち上げたNPO法人の傘下に入り,これまでの「個」のチームから「地域」のチームへとスタートすることになりました。
私はNPO法人の一員として会議にも参加し,会費集めもしました。チームの事務局も担当していました。
結局のところより多忙になりましたが,「サッカーで生きる」という道へとより深く足を踏み入れていくことになりました。
裏話ですが,この残留を決めたシーズンは非常に難しいシーズンになってしまい,毎試合ごとに勝ち点や得失点差を計算しては一喜一憂していました。
チームのユニホームは一新されました。プロ監督の指導のもと地域のために試合をすることになりました。
当面の目標として,チームはJFL(アマチュア最高峰)を目指します。
地元のケーブルテレビが毎試合ごとにダイジェストや試合結果を放送し,まるでプロチームのような扱いになりました。
一見華やかですが,少しの新加入選手以外は既存の選手がほとんどでしたので,急激な変化に気持ちがついてこないという状態でした。
私は完全に舞い上がっていたと自負できます。今振り返るとそれぐらい異常な状況だったのです。
しかし,チームは順風満帆ではありませんでした。
監督との関係,チーム戦術の浸透,地域のチームとしての自覚,スポンサーへの感謝,ケーブルテレビの撮影等,選手に求められるものが多く,ワクワクする気持ちもありましたが戸惑いもかなりありました。
特に人と人の関係は簡単ではなく,これまで作り上げてきた人間関係に新たな関係を持ち込んだことでトラブルの連続でした。チームを離れる選手もいました。
2回目の東海リーグ参入戦へ
時を同じくして現在JFLでJリーグ入りを目指している鈴鹿ポイントゲッターズ(令和4年度は三浦知良選手が所属)の前身となるチームも県1部リーグに誕生しました。
一つでも上のリーグを目指す試合の連続は,県1部リーグをこれまでとは違う熱いリーグへと変貌させていました。
私たちは難しい試合を何とかぎりぎりで乗り越えていきました。
地元のケーブルテレビで特集番組を流してもらっていた影響もあり,ホーム戦ではたくさんの方に応援してもらえるほどの盛り上がりにもなりました。
リーグ終盤,私たちは何とか県1部リーグ2位以内を確定させて,東海リーグ参入戦の資格を得るのでした。
チームとしては2回目の東海リーグ参入戦です。前回とは違い,明確な目標をもった戦いです。
しかし,人生はドラマチックです。まさかこの東海リーグの入替戦が魔物のように私たちの前に毎年毎年立ちはだかることになるとは,この時はまだ知る由もありませんでした。