「不満」「文句」「言い訳」
朝,二男が約束の時間までに朝食を食べ終わりませんでした。
そのことを叱ると「不満」そうな顔でぶつぶつと「文句」を言い,自分なりの「言い訳」をしました。
朝起こしてもらう。
朝食を用意してもらう。
布団を片付けてもらう。
洗濯物を干してもらう。
もらう,もらう,もらう,・・・。
なのに不満な表情になる。文句を言う。言い訳をする。
今回は二男の子育てについては深く綴りませんが,この子どもがの「不満」「文句」「言い訳」について25年の小学校教諭の経験から考えていることを紹介します。
「正論」はうっとうしい
教師は子どもたちを自立させるために,時として子どもたちが「嫌だな」と思うことも伝えなければいけません。
子どもたちにとって「嫌なこと」ってどんなことでしょうか。
それは大体は「正しい」ことです。
つまり「正論」です。
頭ではわかっていることだから,そのことを指摘されるとうっとうしい。
だから「嫌だな」と思い,「不満」になり「文句」が出て「言い訳」をするのです。
自我と社会性の発達
それでは,子どもは一体いつごろから「正論」を「嫌だな」と思うようになるのでしょうか。
子どもは発達段階に応じて自我や社会性が向上します。
そうすると,これまでは「正しいことは正しい」と深く追及してこなかった「正論」に対して疑問を持つようになります。
それは「本当に正しいのか?」それは「なぜ正しいのか?」
これらは当然のことであり素晴らしい成長です。
ですが,同時に自分が「正しい行動」をすることに対しても葛藤が生まれたり,反発したくなったりもします。
「パパだって出来てないくせに。」「先生もやってないやん。」
自分自身で受け止めるには「正論」は少し重たいのです。
「当たり前を当たり前にできる。」
これってある意味才能です。
だから,普通は日々意識していきながら「習慣化」する必要があります。
私の経験では,2年生くらいから徐々にその傾向がみられるように感じています。
おそらく1年生の時に集団生活の中で友だちや先生などから学んでいるのでしょうね。
先生の言うことに対して反抗したり,反対の行動をしたりしますが,それでもかわいらしいものです。
それが,昔で言う(今でも言う?)ギャングエイジと言われる3・4年生頃になると,より強い反抗や反対になります。
場合によっては5・6年生になると学級崩壊といった現象につながったりもします。
それって子どもにだけ問題があるのか
これまでの話で考えるなら,子どもだけの問題ではありません。
「子どもの成長と大人の願いのずれ」が大きな問題になっていると思います。
私たち大人は,子どもたちにこうあってほしいと言う「子ども像」があります。
その子ども像にはあまり発達段階が考慮されていません。
大人にとって幼稚園児であっても高校生であっても,子どものあるべき姿は同じです。
例えば,皆と仲良くしてほしいとか,目標達成に向けて日々努力してほしいとか,もっと簡単なことで言えば,決めたことは守ってほしいとか,物は大切にしてほしいとかです。
でも,これって経験で学んでいくことであり,先天的に持っている「道徳性」ではないはずです。
経験を積んできた大人の道徳性です。
そのように考えることができれば,私たち大人がすべきことはそれほど難しくないはずです。
その時その時の子どもを観察し,
子どもの「人間的価値」をあたたかく受け止めながら,
普遍的な道徳性(正論)を
心に染み込ませていく
のです。
順番で言えば認めることが先です。
「深呼吸」で感情のコントロール
ただし,これを邪魔するのが「感情」です。
特に親子の関係は「感情」のぶつかり合いです。
先ほどの二男も同じで,私がいかに元教師だからと言っても,二男からしたらうっとうしいのです。
教師だから余計にうっとうしいとも言えます。
私は二男を叱った後に必ず「言い過ぎた」と反省します。毎回反省します。
二男はサッカーに打ち込むために中学校を転校しています。
それだけでも大したことなのに,ついつい理想の子ども像を求めすぎてしまいます。
二男にはいつも申し訳ない気持ちになりますが繰り返してしまいます。
「感情」をコントロールするのは簡単ではないのですが,最近取り組んでいることが「深呼吸」です。
アンガーマネイジメントの考え方で言われる
「怒りを感じたらその事象から離れて数秒数えて時間を置く」
のと同じ考え方です。
その事象から離れて深呼吸すると,すこしだけ冷静になれます。
すると,子どもを観察したり人間的価値に目を向けようとしたりする気持ちを思い出します。
未熟であることを理解する
某高校でコーチが生徒に暴力をしている動画から,学校でのパワハラのニュースが世間を騒がせています。
自分の教職員時代を思い出すと,今ならパワハラと言われても仕方がないような指導をしてしまったことがあります。
当時の私は,教師の熱い思いは子どもに伝わるものだと勘違いしていたのです。
だから非常に心が痛くなります。
パワハラはあってはならないものですし,暴力で子どもをコントロールすることは決して教育とは言えません。
誤解を招きたいわけではありません。持論を展開するつもりもありません。
パワハラに苦しむ子どもの心の傷が少しでも癒えることを願っています。
しかしながら,
完璧な人間がいないように,子どもが未熟なら,先生や親など大人も未熟
です。
自分が未熟であることを理解することがまずは大事なのではないでしょうか。
ともに深呼吸しながら,未熟である自分と向き合える心の余裕が持てる世の中にしていきたいですね。
二男が帰ってきたら二男が喜ぶおやつを出してあげようと「今」は思っています(^^)v