東海リーグで過ごした2年間
当時の東海リーグは1部と2部に分かれていました。
昇格した私たちのチームは東海2部ということになります。
チームは様々なチームとトレーニングマッチをしながら調整していきました。
しかし県リーグと比べたら当然のことながら相手のレベルも上がります。
チームは2部の中で中位ぐらいの位置でした。
私はほとんど出場しませんでした。
正直なところ,90分間走りきる体力が衰え,筋力の低下も否めませんでした。
闘うことが自分のプレースタイルだったので,対人への不安が強度が上がったことでより強まってしまいました。
静かに引退
そして次の年,本当に引退する時が来ます。
その年に三男が生まれます。
長男と二男の二人なら何とか対応できましたが,三人になるとそういうわけにはいきません。
乳児の三男に連れ合いがつきっきりになるので,私が長男と二男をみないと家が回らない状態になりました。
調度,チームも変革期に入っていました。
当初の「上を目指す」という明確な目標は薄れ,チームの存続が目標のようになっていました。
また,監督の交代もありました。
私は東海リーグ2部残留を見届けてチームに別れを告げました。
本当の引退です。
「本気」でサッカー選手としてプレーすることはひとまず終了しました。
不思議と寂しさはありませんでした。
もうチームには私が創設した面影はなくなっていましたし,選手としてのこだわりも仕事と家事の両立で薄れていました。
指導者への関心
ただし,このころから「指導」に関心を持ち始めていたのは事実です。
それはなぜかと言うと,当時勤務していた小学校には,有志の先生が企画して行われる学校対抗のサッカー大会があったのです。
私は,一応サッカー経験者ということで異動までの6年間,その大会の監督をさせていただきました。
そこで,サッカー指導者としての第1歩を踏み出し,育成年代の指導の楽しさや奥深さ,難しさに触れることができました。
この経験は,のちにジュニア年代の指導者として再びサッカーに関わる礎になります。
結局のところサッカーは自分の人生に無くてはならないものなのでした。