エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ちょっといい学校話

歪む理由に目を向ける

「物隠し」

学校では「物隠し」がしばしば起きてしまいます。

例えば,○○さんの筆箱が無くなったとか,□□さんの上靴がなくなったとか。

無くなったものがすぐに見つかることは少なく,騒ぎになってみんなで探したら思わぬところで見つかったとか,後日に探したはずの場所で見つかったとか,残念にも見つけられないということもあります。

断言します。

学校は警察ではありません。

だから「犯人」探しなどは絶対にしません。

無くなった原因や無くなった時の様子などを当事者または全員で確認しあいながら,見つける努力をしつつ,ものが無くなってしまった子の心のケアや,隠してしまったかもしれない誰かに問いかけるように指導をします。

ただし私の経験上,担任の先生は子ども一人ひとりの普段の様子を知っていますので,おおよその検討を付けている場合もあります。

ですが「犯人」と決めつけることは決してありません。

「色眼鏡」

私の失敗談を綴ります。

私が20代の頃でした。

Aさんが「先生,Bさんの上靴がなくなった。」と言いに来ました。

その後,  上靴をAさんが見つけました。

そのようなことが続きました。

なぜかAさんがいつも見つけるのです。

私は「おかしいな。Aさんがわざとやっているんじゃないか。」とAさんを疑うようになってしまいました。

それからはAさんに対してどうしても色眼鏡をかけてしまうようになり,気がつくとAさんが何かしないかと目で追ってしまうような状態でした。

学期末に行われる個人懇談会がやってきました。

私はAさんとゆっくり話し合ってもいないのに,Aさんの保護者の方に対してさも私は分かっていますよと言わんばかりに「Aさんが物隠しをしているようです。なぜなら…。」と伝えてしまったのです。

Aさんの保護者の方は良識のある方でしたから落ち着いて話を聞いてくれましたが,内心は不愉快極まりなかったと思います。

Aさんはそれ以来,私と少し距離を置くようになってしまいました。

「犯人」扱いされたのですから当然ですよね。

私はとても後悔しましたが,進級するまでその距離は埋まることありませんでした。

この経験は私の心の中に傷として残り,今でもふとよみがえってきます。

Aさんとご家族の方には申し訳ないことをしました。

この経験後,子どもたちを色眼鏡で見るようなことだけは絶対にしないと決めて学級経営を行うようになりました。

「本質」と「包容力」

それでもうまくいかないことも多く,これまで何人の子どもたちや保護者を悲しませてきたか分かりません。

学校は,警察のように白黒をつけるとか罰を与えるとかして解決できる場所ではなく,子どもたちの思いに寄り添って成長を優先する場所です。

だから子どもと接する先生には,子どもの本質を見る目とあったかい包容力が必要になるわけです。

残念ながら若い頃の私は,偽善ぶった正義感を振りかざし,勢いだけがある面倒くさい先生だったのです。

「ゆっくりと話す時間」

先日,「物隠し」の相談を受けました。

ものを隠している子はおおよそ分かっているらしく,実際に物隠しが起きたときに話を聞くと,自分がやったと認めるのだそうです。

しかし物隠しは納まりません。

先生や子どもたちも少しずつ疲れてきているようでした。

そこで,私はそのお子さんとゆっくりと話をすること提案しました。

物隠し自体は良いことではありませんが,なぜ物を隠してしまうのかには理由があります。

もしかしたら,だれかの気を引きたいのかもしれませんし,腹いせにやっていることもあるかもしれません。

問題行動が起きたときに話を聞くのではなく,普段の何気ない時間にその子の「好きなものや嫌いなもの」の話など,その子自身のパーソナルを知るために聞くのです。

カリキュラムの進度のことがあるのでそんな時間を作るのは簡単ではありません。

だから小さい声で言いますので内緒にしてください。

「カリキュラムより子どもと話すことの方がよっぽど大事」です。

その子が,先生とゆっくり話が出来たことが嬉しかったらどうなるでしょうか?

きっと「先生なら私のことをわかってくれている。」という発想になるのではないでしょうか。

「先生の心のゆとり」

子どもは大人の何倍も未熟です。

自己実現の方法が,時に歪んでしまうこともあります。

大人からしたら問題行動かもしれませんが,それが子どものなりの自己表現で合ったりもするのです。

だから「歪むことが悪い」とするのではなく,「歪まないように表現するにはどうしたら良いのか」を一緒に考えることが大事なのです。

「物隠し」は決して良いことではありません。

隠された子どものことを考えると心が痛いです。

だからこそ学校はこの出来事を価値のある学びに変えるのです。

そのために必要なことは間違いなく「先生の心のゆとり」です。