落ち着いて考えると私はすごく「幸せ者」なのだと思います。
それは高校生と中学生の息子たちと「ガチンコ」で生活できるからです。
私が中高生の時,父親とこんなにまで話したことはありませんし,一緒に寝ることもありませんでした。
父親が作った食事を食べることもなければ,洗濯物を干してもらうこともありません。
父親が悪いというわけではなく,そういうものでした。
それではなぜ,私はこんなにまで子どもと一緒にいる生き方を選んだのでしょう。
それは
「今しかない子どもの成長を見逃したくない」
という思いだけです。
子どもにとっては迷惑かもしれませんし,子育ての教科書があれば間違った考え方かもしれません。
それでも私はこの生き方を選んでしまいました。
どんな未来が待っているのかはわかりませんが,後で振り返った時に,私はきっとこの時間を「宝物」のように感じるのだと思います。
3人で扇風機を取り合い汗をかきながら雑魚寝をし,2人を容赦なくたたき起こし,ニュースを観ながら上半身裸で朝ご飯を食べる。
二男の登校を二男が見えなくなるまでの見送り,長男と一緒に掃除をしたり朝読書をしたりする。
公園で小学校時代のようにサッカーのトレーニングをしたり,お腹がいっぱいになったら昼寝をしたりする。
二男の帰宅を向かい入れ,手作りのおやつを出し,学校の話を聞く。
メッシの動画を観ながらグランドまで送迎し,二人の練習内容に対していちゃもんを付ける。
帰ってきたら裏返った靴下に文句を言いながら洗濯物を干し,一緒にアイスコーヒーを飲んでくつろぎ,また暑い暑いと言いながら寝る。
子どもはいつか親から離れて自立していきます。
いつまでも一緒にいることはできません。
一緒にいてはいけません。
この生活が子どもたちの自立の手助けになっているかどうかは怪しいのですが,逃げ道がない中で「本気」でぶつかり合っているので,嘘や偽りが無い生活にはなっています。
今日は,長男や二男の未熟さに少し苛立ってしまいました。
子どもたちは悪くないのに,私が子ども像を求めすぎてしまいました。
長男が「怒ってる?」と聞いてきました。
二男が「布団用意しとくわ。」と機嫌をとってきました。
そんな二人の寝顔を観ながら,私は「親として未熟だなあ。」と反省しました。
明日は,笑顔でたたき起こしたいなと思います(‘ω’)ノ