エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

My試験物語①

高校入試,大学入試,教員採用試験。

これが私が受験した入試です。

今回のぶらっと寄り道話は試験の話です。

高校入試の話

私は中学校の時,なんとなく「三群」を受験することにしました。

私が住んでいた県には一群の高校,二群の高校,三群の高校というのがあり,私が住んでいる地域の近くの高校では伊勢高校と宇治山田高校が三群にあたりました。

三群を受験すると合格者はどちらかの学校に自動的に振り分けられる仕組みになっています。

まるでくじみたいですが特に疑問もありませんでした。

私はどうしても三群に行きたかったわけではなく,当時の自分の偏差値だったか合計点が三群に入学できる範囲だったからです。

だから挑戦したわけでもありません。

受験は宇治山田高校で行われました。

私は滑り止めとして受験した三重高校と皇学館高校に合格していたので心の余裕があったと思います。

確か数学だったような気がしていますが私はラッキーにも時間を持て余しました。

そこで問題の空いている箇所に得意のキン肉マンの落書きをしていました。

すると運悪く試験官が横を通りかかりました。

「やばい!」

と思った私は素早く消しましたが,「落書きをしていたことがばれたら不合格になるのだろうか。」とそわそわとしながら入試を終えたのでした。

問題が解けたかどうかより落書きが気になるのですから私はなんてお気楽人間なんでしょう。

結果は合格。

宇治山田高校まで見に行きました。

合否もあるのですが,三群として受けているので,どちらの高校に入学するのかも気になるところです。

私は宇治山田高校でした。

伊勢高校だったら家から自転車で通うのに倍の時間がかかります。

なんてラッキー。

私は落書きをしたにもかかわらず都合がいい近い高校に受かるのですから運が良いにもほどがあります。

大学入試の話

大学入試に関しては高校入試の時とは違いかなりナーバスになりました。

実は塾には行きませんでした。

特に理由もないのですが独学での受験でした。

地元の国立大学に行くという選択もありましたが,私は「サッカーの街の静岡に行きたい」と言う我儘な願いを貫いて,静岡大学を受験することを親に認めてもらいました。

滑り止めとして中京大学には合格していたので多少は余裕があったかもしれませんが,私立かつ仕送りをしてもらうのはさすがに気が引けます。

また静岡大学の学校推薦には不合格だったこともあって後がない気分に追い込まれました。

センター試験では何とか合計点数は取れましたが,苦手の化学では半分も点数が取れずに気分も落ち込みました。

この頃になると,多くの仲間が推薦や私立で受験を終えていて卒業式を迎えるのみという雰囲気でしたから,まだ進路が決まらずに前期試験を控えていた私は焦りや苛立ちを感じていました。

家族にもきつく当たったことを記憶しています。

それでも何とか試験を終えて合格発表を待ちました。

私は実家でとっている新聞の発表で合否を知ることになるのですが,その日は新聞が届くのが待ちきれません。

ずっと寝ないで待っていました。

新聞配達のバイクの音が聞こえてきます。

走ってとりに行きました。

私はようやく届いた新聞から,自分の名前を必死で探しました。

めでたく「静岡大学教育学部小学校社会科」に私の名前がありました。

「あれ?」

私は小学校国語科で受験したはずです。

実はセンター試験の結果から合格確率が高そうな国語科に変更し,第2希望を社会科にしていたのです。

なぜか第2希望で合格…。

それも確率が低い方…。

「まあいいか。合格したんだし。」

嬉しさもありましたが何とも謎が残る合格発表になりました。

結局大学生活の実績として無事に小学校社会,中学校社会,高校地歴の教員免許を無事に所得することになるのですが,本当は国語が好きという微妙な社会科の先生になってしまいました。

長くなったので教員採用試験の話は次回にします(^_-)-☆