エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
サッカー愛にあふれたうんちく話

「奈良クラブ」は我が街のJクラブ

奈良クラブが確かなチームの理由

劇的なゴールでヴィアテイン三重に勝利し,総合順位4位以内,J3クラブライセンス交付チームで2位以内を確保した奈良クラブは,文句なしにJリーグ入会を決めました。

 

まさに実りの秋。

奈良クラブの秋です。

奈良クラブはエコノメソッドを導入して2年で素晴らしい結果を出しました。

これは間違いなくチームのプレーモデルを恐れることなく「世界基準」に置き換えたフロントの成果です。

私は4年前の奈良クラブの試合を鈴鹿アンリミテッド(現在の鈴鹿ポイントゲッターズ)戦で観戦しています。

その時の奈良クラブは1-4-4-2の堅守速攻のチームで今と変わらず熱い魂を持ったチームでした。

かたや鈴鹿はスペイン人監督のミランダが指揮し,1-4-3-3でグランドを広く使おうと試みているチームでした。

私は「もしかしたら日本で世界基準のサッカーが観れるかもしれない。」と鈴鹿の取り組みに関心を持っていました。

しかし鈴鹿はミランダ監督が帰国してことでチーム名も変え,スペインサッカーとは違う方向へとプレーモデルを変更しました。

つまり鈴鹿の取り組みで分かるようにスペインのサッカーを浸透させて確実に勝てるようにするには時間がかかるということです。

JFLには登録料がそれなりにかかります。

Jに入会できなければ年々苦しくなります。

特に鈴鹿のように時間がかかるプレーモデルではチームの体力的にも厳しいのです。

では同じようにスペインのサッカーを取り入れた奈良クラブがなぜ2年で成果をあげられたのかというと,監督だけをスペインから招へいするのでなく,チームのプレーモデルとメソッドを複数年かけてチームの哲学として浸透させることにまで徹底したからです。

そのメソッドがパリサンジェルマンに導入されていたエコノメソッドであり,フリアン監督はそのサッカーサービス社の人間なのです。

ここまで徹底できたことが本当に素晴らしい。

表面上だけスペインサッカーにしようとしても中身は違うわけですから,勢いで突き進めなければ望む結果を得るのは難しいのです。

ちなみに勢いだけで進んでしまっても,結局はどこかのタイミングで苦しくなり,監督が代わればプレーモデルも変わる事態に陥ってしまいます。

それだけサッカーの試合結果は不確定なものなのです。

私が仕事を辞めてまでも奈良に来た理由はこれです。

エコノメソッドが入っているのであれば間違いない。

実際にそうなりました。

長男がサッカーサービス社のエコノメソッドに出会ってから6年が経ちました。

ワールドチャレンジの初代エコノメソッド選抜のメンバーにもなりました。

エコノメソッドが導入されているから山梨のアメージングアカデミーにも行きました。

奈良クラブにも来ました。

それだけ私はサッカーサービ社のエコノメソッドと共に歩んできたのです。

トップチームはエコノメソッド導入してからたったの2年でJ3昇格です。

それでも私は必然だと思っています。

世界的に確かなものを導入し,信念を持って,ぶれずに突き進む勇気があった奈良クラブの勝ちなのです。

奈良クラブに集まった選手たちも,大人になってから学ぶにはかなり難しいメソッドにもかかわらず,全身全霊でプレーモデルを実行してくれました。

負けたときも,引き分けばかりのときも,ぶれずに続けたことで,確実にグランドを広く使いながらボールを握れるサッカーが出来るようになっていきました。

きっと選手達も勝てる自信,負けない自信が試合を重ねるごとに強くなっていったのだと思います。

真の我が街のJクラブになった瞬間

そしてヴィアティン三重戦です。

前半の内容は悪くはないです。

奈良クラブはスロースターターなので後半はギアが上がることが予想できました。

それでも選手たちの昇格をかけた試合へのストレスが,知らず知らずのところでプレー選択を安全なものに変えてしまっていたのだと思います。

私はスタンドで観戦していましたが,明らかに観客は退屈をしていました。

来季のプロとしての奈良クラブを見越したとすると,この状況は良いとは思えません。

観客はチケット代を払い,わざわざスタジアムまで来て,いったい何が観たいのか。

間違いなく「ゴール」であり,「勝利」であり,「熱」なのです。

だから私はあえて厳しい内容のツイートをしました。

でもそれは選手が1番分かっていることです。

これまでたくさんのストレスと戦ってきたわけですから,この試合で戦わない選手がいるわけがないのです。

後半は明らかにアグレッシブになりました。

センタリングやシュートが増えました。

ゴール前のシーンが増えたことで観客にも熱が入りました。

この日の奈良クラブは引き分けでもJ3昇格が決まります。

時計の針が進むたびに時計とにらめっこになっていきました。

心がソワソワして緊張で体が硬くなります。

ついに終了間際になりました。

それでも奈良クラブの選手たちは引き分けではなく勝利を目指していました。

観客にもその思いは届いていました。

確かにリスクはあります。

でもその思いがあの決勝ゴールへとつながりました。

浅川選手の懸命なパスカットから山本選手の強引なシュートへ。

だれもど前のめりになりました

ボールがゴールに突き刺さるまで,まるで時間が止まったような感覚でした。

ゴーーーーール!!!!!

これまでの全ての人の想いや時間が乗り移ったような魂のゴールでした。

あの瞬間スタジアムに響き渡った怒号のような声は,その場にいた人にしかわからないと思います。

まさに視界が揺れる感じです。

選手たちは一目散にゴール裏のサポーターの中に飛び込んでもみくちゃになりました。

何と反対側にいたGKのアルナウ選手までいました。

かれは130mぐらいダッシュしています。

人って本当に嬉しいときや興奮したときは尋常じゃない力が出るものなんでしょうね。

それはそれは速かったです。

スタンドでもみんなが一斉に立ち上がって興奮し,歓喜していました。

奈良クラブ物語はなんて劇的なのでしょう。

それぐらいの興奮でした。

そのあとは誰もが「早く終われ」「早く終われ」「早く終われ」と祈りました。

そしてついにそのときが来ました。

試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いたのです。

ピッチに倒れ込む選手,抱擁し合う選手,飛び跳ねる選手,ハイタッチする選手。

全ての選手が満面の笑顔でした。

スタッフもフロントも観客もみんな笑顔でした。

笑顔しかありませんでした。

これぞ真の「我が街のクラブ」です。

幸せは与えてもらうのではなく一緒に創る。

このクラブにはそれがあるのです。

私は長男と二男が興奮していたことが何より嬉しかったです。

家族の理解があって奈良に来て,二重生活の中でくじけそうになるときもありました。

私のサッカー好きが酷すぎて,家族を振り回していることに,申し訳なさが常にありました。

でも、長男はあのゴールの瞬間にサポーターや選手達と一緒にもみくちゃになっていたそうです。

二男は,スタンドから叫んでいたそうです。(ほんとはダメですけど)

それが心から嬉しかった。

特に二男は転校までして奈良に来ましたから,「俺は来年からJや。」と誇らしげに話す二男を見ていて少しだけ救われました。

来年は長男と二男はJ下部としてJのロゴが入ったユニホームを着てプレーします。

もともとあったところに入ったのではなく,自らが昇格させたチームでプレーするわけですから,気合が入りまくりです。

これぞまさに私が望んだ姿です。

次は100年続くクラブを目指して,Jの舞台で戦い,共に幸せになりましょう。