私は教員時代に週末の宿題で日記を出していました。
書き方は「生活綴り方」です。
自分が1番心に残った出来事を過去から順番に「…ました。」「…ました。」と詳しく描いていくことで自分の気持ちを読み手に伝えていく手法です。
私はこの手法が大好きで,子ども達の日記を学級通信などで紹介しては,みんなで書き手に寄り添い合っていました。
子ども達も,「今回は誰の日記が紹介されるのか」を楽しみにしていました。
目的は「子ども同士が仲間の生活背景を知ることで根っこの部分で繋がり合う」ことです。
生活綴り方を学んでからは,この手法で人権教育を地道に進めてきました。
だから私が担任するクラスは子どもたち同士が繋がっているので,いろいろと課題があってもみんなで解決していくことが出来ました。
そんな手法を私の息子達にも取り入れています。
長男は途中誤魔化した時期もありましたが,一応小学校1年生から今までの10年間毎日続けています。
二男は最近復活し,三男は誤魔化し続けています。
「継続は力なり」と言いますが,継続した時間は本物で,継続してきたということが誰にも負けない自信に繋がります。
ではいわゆるサッカーノートではない日記をサッカーとどう繋げていくのかというと,
「過去に起きた出来事を詳しく文章化して順番に綴ることで,自分の頭の中を整理し,言語化出来るようになってほしい」
という狙いがあるのです。
例えば「さっきのあのシュートのシーンを解説してください。」
と求められたときにどう答えますか。
生活綴り方の手法なら,
「私は右足の指先でボールをコントロールしました。ボールはピタッと右足の前に止まりました。左足を踏み込んでシュートをしようとしました。相手がシュートコースを塞いだのが見えました。私はとっさに右足のアウトサイドでボールを右にずらしました。シュートコースが出来ました。相手が慌てて足を延ばしてきたのがみえました。私は相手の股を狙ってゴロのシュートを右足で撃ちました。ボールは相手の股を抜けました。GKはボールが観えなかったのか反応が遅れました。私はボールがゴールに入るのを見届ける前に仲間の元に走り出しました。仲間が喜ぶ顔が見えました。私は「やっぱりな」と思いました。」
となるわけです。
この文章を読むと書き手の「私」の様子や感情が手に取るようにわかると思います。
つまり一瞬の出来事を詳しく順番に文章にすることで言語化したのです。
素晴らしい狙いだと思いませんか。
でもです・・・・。
私の息子達は私の狙い通りには育ってくれませんでした。
いまいち言語化出来ていません。
というか日記もいまいちです。
我が子だと感情的になりすぎて上手くいかないのでしょうか?
ホント残念です。
いつか花咲くことを信じて継続はしていきますが,今のところその通りになるのかはかなり怪しいです(>_<)
頼む,息子達よ。