エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ちょっといい学校話

イコールを考える

長男は数学が苦手です。

だから奈良生活をしてから小学校5年生の算数からやり直しています。

現在は中学校2年生の数学までたどり着きました。

完ぺきではないですが,毎日1時間ほど数学に向き合う習慣が身に着いたことは大きな成果です。

何より「丁寧」の部分に時間をかけられました。

長男は,ノートに日付けと問題番号を書き,イコールを書く位置に気を付けながら,途中の式を順番に書き,答えの下にアンダーラインを定規で引けるようになりました。

25×3-13×3=(25-13)×3

=12×3

=36

A 36個

↑こんな感じです。

私からしたら当たり前のことなのですが今まではそれが出来ていなかったのです。

だから出来なかった。

つまり思考の流れが整理されていないまま,何となく問題を解いていたから,数字の桁が大きくなったり,分数や少数になったり,文字が入ったりすると混乱していたのです。

特にイコール(=)の理解には問題がありました。

長男は,

A=B

を観て,「AはBじゃないからおかしい。」

と思っていたのです。

これは小学校低学年の算数で習熟していなければいけない内容です。

まさかこの段階でつまづいていたとは…。

なので未だ代入法に苦戦します。

x=y+10

を見て「xはy+10」ではないと思うのですから厳しいです。

加減法だと「見たまま引けるので分かりやすい。」と言いますが,明らかに代入法の方が使い勝手が良いです。

中学校の数学についていけないのも当然です。

でも私がそのことに気づいたのはこの生活を始めてからです。

親として情けない限りです。

最近の長男は,式をノートに丁寧に書くことが当たり前になったので,おそらく50%ぐらいは理解できています。

次の課題は文章問題の読解です。

数学になると文章問題の情報量が多くなるので,長男はどの情報を使って立式して良いのかが分からなくなってしまいます。

だから私は「わかること」には線を,「きかれたこと」には波線を引くように伝えています。

でもなぜかやろうとしません。

面倒くさいのかもしれません。

これは二男も同じです。

でもこの感情は困りものです。

これまで担任した子どもで算数が苦手な子ほど面倒くさいと言う感情を持っていました。

その結果,長い文章の問題に出会うと読むのが面倒くさくなり,脳が抵抗をするように「わからん」「わからん」と言い出してしまいます。

それでも私は長男は決して出来ない子ではないと思っています。

きっと「問題が解ける楽しさ」を学べてきていないだけなのです。

問題が解けたときに「なるほど。面白い。」と思った経験がほとんど無いのではないでしょうか。

そう思うと小・中学校の先生の重要性を実感してしまいます。

私が教えた子どもたちは「問題が解ける楽しさ」を実感できていたのでしょうか。

だから長男が

「分からんから教えて」

と聞いてきたときは一緒に問題と向き合いながら「問題が解ける楽しさ」を私がお手本のように見せています。

「この問題面白いなあ。」「なるほどなあ。」「こうやったら解けるで。」「解けたやん。やったな。」

と言いながら明るく向き合っています。

そう考えると,「やっぱり学校現場は多忙すぎる」んだなと思います。

長男のような子どもはどうしても授業の進度についていけなくなりますし,テストの点数や順位などで劣等感を持ってしまいます。

それは悪循環しかありません。

日本の受験制度をどうこう言っても私ごときに何が出来るんだって話なので,せめてグラスルーツである長男のような子ども達が「時間をかけて向き合える」ようにしてあげたいなと思います。

ちなみに私は先生が言ったことを「ふーん。そんなもんなんや。じゃあ,そのまんま覚えとこう。」というタイプでした。

だから「問題が解ける楽しさ」はあまり感じませんでしたが,テストで点数はとることができました。

面白みのない子どもですが先生にとっては扱いやすい子どもでもあります。

そう思うと長男は私よりも大物になる可能性がありますね。

だって,

x=y

をおかしいと思えるんですから。

でもそれって最初は誰だって普通です。

国語ならxとyは違う文字すし。

物わかりが良い子=学力が高い

とは言い切れませんね。