二男は来週に期末テストがあります。
地元にいた頃は週に2回塾に通い,スマホは持っていませんでした。
奈良に引っ越してきて塾は通わずに学校の特別な補習のみで,スマホを手に入れました。
その結果,もともと勉強嫌いなのもあいまってテストの点数はがた落ちでした。
そうなると負のスパイラルです。
「わからん。わからん。」「地獄や。やりたくない。」
という言葉を繰り返し,努力することから逃げてきました。
目標があるから努力できる。
(罰を受けたくないから努力する。)
努力する理由が無いのですから仕方ないのかもしれません。
最近の二男はようやく自分の進路を本気で心配し始めました。
今までは高校入試によって良くも悪くも仲間と「違い」が出来る事を理解できていませんでした。
入学できる高校とそうでない高校がある。
そこに入学する子とそうでない子がいる。
その「違い」は何によって起きるのか?
まさに数字で分かる「学力」です。
現在の二男の数字で分かる「学力」ではどんなに生活態度を良くしても,学校の推薦をもらえることはあり得ません。
二男はそのことに気づいたようです。
二男に残された道はテストの結果のみなのです。
たった15歳でともに過ごした仲間の間に人生が決まる「違い」が出来る。
すごく残酷な気もします。
昨晩の二男は英語の問題に出てくる文章をずっとノートに書いていました。
実はこの勉強方法は私がアドバイスしたのですが,これまでの二男は問題を解くだけでノートに書き込むということはしてきていません。
勉強が嫌いで努力したくないのですから当然です。
でもこの勉強法はサッカーで言えば「リフティング」と同じだと思います。
やっているときはそれが大事かどうかわからないのですが,試合で浮き球をコントロールするときにリフティングの価値を実感できます。
そしてリフティングは努力しないと絶対にできません。
つまり書き込むという努力をすることで,徐々に文法の形に慣れていき,テストで「似た」文法の問題に出会った時にその効果を発揮する。
この「似た」が大事で,問題に取り組んだときに「似ている」と気づくまで書き込んでいるかどうかが大事なのです。
二男はそこをかなりさぼっていました。
「何でそんなに書かないかんの?」
「面倒くさいやん」
そう思ってきたのです。
でも昨日は違いました。
比較級と最上級の文法の問題に取り組んでいましたが,「more」と「most」が自然と出ていましたし,「most」の前に「the」もつけていました。
比較級のときに当たり前のように「than」も使えていました。
何度も書いているだけなのですから当然なのです。
リフティングも慣れたら100回程度なら一生出来ます。
二男はこれまでは出来なかった問題が出来るようになってきたので嬉しそうです。
勉強の仕方は人それぞれだと思います。
昨日の様子から,二男にとっては,後から価値を実感する勉強の仕方の方が合うのかなと思いました。
実は数学の「証明」の問題にも苦戦をしています。
どうやら問題を解くのにたくさん書かなきゃいけないのが面倒くさいのだそうです。
気持はわかります。
でも「証明」の問題こそ,二男に合った勉強の仕方だと思います。
「証明」の問題はまさにパターンです。
テストで出題される問題は数字が変わるだけで,これまでにたくさん書いてきた問題の中のどれかのパターンに必ず当てはまります。
つまりパターンを知っていれば選ぶだけなので余裕なのです。
これもサッカーに当てはめたら,練習でたくさん取り組んできたプレーの優先順位と同じです。
この場合の優先順位はこれ。
だから次はこう。
よってこうなる。
サッカーの場合はこれを11人全員が共有しなければいけませんが,テストなら自分一人だけで良いので余裕です。
二男はテストで点数は取れませんが,リフティングは出来ますし,プレーの優先順位も分かっています。
だから勉強をサッカーに置き換えれば良いのです。
二男はメンタルが強くありません。
可愛らしい性格ですが,逞しくはないです。
だからそこは意図的に自分を高めていく必要があると思います。
昔は二男に「俺は天才」と言わせていました。
あんまり効果はありませんでしたが,最近の二男ならありかもしれません。
「目標は○○○点」
「自分は必ず出来る」
「考えなくても反応できるまで繰り返す」
「価値は後でわかる」
「自分が望む未来を手に入れる」
私は,二男が目標に向けて努力を惜しまなくなればきっと未来を変えられると思っています。
「勉強が楽しいと思えるようになりたい」
今日の二男の言葉です。
「子ども達に勉強が楽しいと言ってもらえる指導が出来ていたのか?」
元教師として心がキュッとなる思いがしました。
来年の今頃には,二男は進路と奈良か地元か,それともそれ以外かを選ばなければいけません。
とても難しい問題です。
でも「選べる」ということは「幸せだ」とも言えます。
二男がどんな「違い」を生み出してくれるのか?
怖くもあり楽しみでもあります。