私は90%以上の親の支援のおかげで小学校教員免許だけでなく中学校,高校の教員免許を取得することができました。
この免許のおかげで県職として25年間,教諭を務めることが出来ました。
免許を取得したということはそれだけの知見と実践力があると言う証拠です。
今回はこの免許についてライセンスと関連付けてうんちくします。
長年,教諭をしてきて感じたことは,「教員免許所持と教師としての能力は一致しない」ということです。
確かに必要な知見と実践力を身に付けたから免許取得となるのですが,人には生い立ちがあり,現在の生活背景があり,身体的な成長(衰え…。)や精神的な成長(プラスとマイナス)があり,時代の流れや社会の影響を受けます。
子ども達も人なので教師と同じです。
だからお互いに良いときもあれば悪いときもあります。
合うときもあれば合わないときもあります。
そんな中で,教師は常に聖人であることを求められ,あらゆる事象に適切に対応しなければいけません。
私は経験してきたなかで,「能力が高い」と感じた方は物腰が柔らかく,思考が柔軟な方でした。
時代の対応するために多忙を極める校務の中でも,常に落ち着き,冷静で,丁寧に子どもの想いに寄り添える。
それは免許があるかどうかではなく,その人が育ててきた「感性の豊かさ」にあると私は思っています。
どんなに知見や実践力があっても,実際の人相手にはマニュアル通りにはいきません。
その瞬間に最適解に近い決断が出来る。
それには,これまでの生き方でどれだけ感性を育ててきたかにかかっていると思うのです。
夕陽がキレイ。
花が美しい。
雪が冷たい。
ご飯がおいしい。
とてもシンプルな感情ですが,そのシンプルなことに感情が動くことが大事なのです。
前置きが長すぎました。
でもこの内容が綴りたかったことの9割です。
つまりサッカー指導者のライセンスも同じで,指導者に「豊かな感性」が必要だと言うことです。
世界中にサッカー協会のライセンス所持者がいます。
素晴らしい指導者がたくさんいます。
彼らが本当に素晴らしい理由は,所持しているライセンスのレベルだけではなく,その人の「人間力」ではないでしょうか。
誰でも良いことは言えます。
誰でもそれなりに頑張れます。
でも何が良いことなのか,何を頑張ればいいのか,それが正しく分かる人は少ないと思います。
免許やライセンスを取得するために学ぶことは間違いなく必要です。
日々自己を研鑽しアップデートすることも必要です。
さらには学んだことが本当に正しいことかどうかを疑う目も必要です。
シンプルさを大切にし,シンプルに感情を動かす。
それが結果的に多面的かつ多角的な思考を育てることになり,穏やかな安心感と優しい落ち着きを生み出すのです。
免許やライセンスはあくまでも学びの成果です。
その成果が相手の幸せにつながるためには,その成果を使う人の豊かさが大事だと言うことです。
さてさて,今回はちょっと感覚的な内容になってしまいました。
スルーしてもらって結構です(>_<)
この内容は何うんちくなのかよくわかりませんので,とりあえず「ぶらっと寄り道話」にします。