明日やろうはバカ野郎。
私は奈良での生活を始めてから高校生と中学生の息子達と一緒に川の字になって寝ています。
布団に入ってから少しだけ息子達と価値観の話をします。
寝る前ですのでどれだけ心に染み込むのかはわかりませんが,親として息子達に大切にしてほしいことを話しています。
昨晩は奈良クラブユースに昇格できなかった二男に話しました。
二男は苦手なことを後回しにする性分です。
いつも苦手な野菜は最後に食べます。
決してそのこと自体が悪いというわけではありませんが,二男にとっては成長を鈍化させている性分だと私は思っています。
そこで話したのが「明日やろうはバカ野郎」と言う言葉です。
例えば,「今日」の練習でコーチに進路のことを相談していれば,たまたまそのタイミングで相手とコンタクトがとれたかもしれません。
翌日に体験に行けたかもしれません。
そのまま人と人が繋がり進路の選択肢が増えたかもしれません。
でも,「明日」にはそのタイミングを逃してしまい,進路の選択肢は減ってしまうかもしれません。
まさに「明日やろうはバカ野郎」です。
確かに「かもしれません」は仮定の話です。
ですが,「チャンスの神様には後ろ髪が無い」と言う言葉を着たことがあります。
つまりチャンスは通り過ぎたらつかめないということです。
今日ならチャンスがあったかもしれない。
明日ならチャンスが無いかもしれない。
もしチャンスを掴みたければ「今」つかみに行かなければ「今日」のチャンスは通り過ぎるということです。
まさにチャンスを逃したのは大切なことを明日に回した自分であり,それこそバカ野郎ではないでしょうか。
苦手な野菜の話も同じです。
先に食べても後に食べても食べたことに変わりはないのですが,「今日」先に食べることで「明日」には先に食べることが出来た自分がいるのです。
もう未来は変わっています。
珍しく二男は真剣に聞いていました。
次の日の朝食、二男は苦手な野菜を・・・・・後に食べていました。
残念です。
これが二男であり,今の二男になった理由です。
人はそう簡単には性分は変わりませんね。
でも二男の変わり目は今です。
二男が自分と向き合い,明日じゃなくて今日動き出すその瞬間を信じて,支え続けることを止めてはいけないのだと思います。
二男へ,いつか真正面からチャンスをつかみにいこう。