二男が奈良クラブジュニアユースを引退しました。
8月の骨折から手術を経て,ようやく松葉づえ無しで歩行できるようになりましたが,仲間と一緒にボールを蹴ることは出来ませんでした。
U15のメンバーが全員そろっての最後の活動はU14との紅白戦でした。
二男はベンチに座って仲間のプレーを眺めるだけでした。
そんなとき,U13のときからずっと応援していただいていたサポーターの方がチーム全員の名前入りの応援歌を歌ってくれました。
私はこれまでのことが走馬灯のように頭に浮かんで心がジーンとしました。
思い起こせば二男はU13のときは週末だけ奈良に通い,ホテルに泊まったり,車中泊をしながら活動に参加していました。
夏場に新型ウィルスの感染者が増えたときは,約2か月も活動に参加できないこともありました。
二男にとっても家族にとっても苦しい時期でした。
家族内では何度も辞める辞めないの話し合いをしました。
心が折れかけたときもありました。
でもオンラインでのチーム面談でU14への抱負を聞かれたとき,二男は何を思ったのか「U15県2部リーグで優勝する。」
と宣言してしまいました。
「もうサッカーを辞めたい」と言っていたのについ「優勝」と言ってしまうところが何んとも二男らしいです。
どうやら「優勝」と宣言したのは二男だけだったらしく,チームとしても二男の心意気に感動したそうです。
そんなわけで中二から奈良に引越しとなった二男。
初めての転校。
初めてのアパート暮らし。
初めての私と長男の男だけの三人暮らし。
初めて尽くしの中でサッカーが日常になった二男は,U15県2部リーグで2位と言う結果をたたき出したのでした。
それも中3相手に中2のチームがです。
準「優勝」でしたが,辞める寸前まで追い詰められていたことを思うと,よく頑張りました。
中3になってからは県1部リーグやクラブユースで不安定な試合が続き,リーグでは降格争いに巻き込まれてしまいました。
二男も出場時間0秒と言う試合も経験しました。
累積警告で出場停止も経験しました。
とどめはチームの危機に骨折で戦線離脱です。
二男にとって波乱万丈の3年間でした。
この日の活動を終えて家に戻ってきた二男は,卒団式までに怪我を直すことと受験に向けて精一杯頑張ることを誓いました。
奈良クラブジュニアユースでの3年間は,決して望んでいた結果を出せたわけではありませんでしたが,人生初の経験がたくさん出来た貴重な3年間になりました。
経験は財産です。
きっと二男にとって一生の宝物になることでしょう。
二男へ。
面倒くさい父親にうんざりしたこともあっただろうけど,よくついてきてくれたな。
ありがとう。
これからは自分のやりたいことをやれよ。
でも本当はサッカーを続けてくれたら嬉しいな。
まあ任せるわ。
まずは自分が行くと決めた高校に行けるように頑張れよ。
応援はしている。
でもやるのは自分だから今回ばかりは助けやんよ。
自分の人生は自分で何とかしなさい。
パパより。