2度目のスペイン遠征
またしても40万円かかります。私達は共働きでしたが、子どもは3人います。経済的に余裕はありません。それでもチャンスは掴みにいかないと掴めないことを知っていましたので、今回も当然のようにスペインに行くことに決めました。さらに思い切って私も保護者として帯同することにしました。2人で80万円です。一般的な中流家庭の私達にはかなりの奮発でした。
前回のスペイン遠征に帯同していた保護者の方と私はグループラインを作っていました。そこでとても良い刺激をもらっていました。スペイン遠征に帯同するという選択肢を持てなかった私は後悔をしていました。私の心は「サッカーの本場スペインのサッカーが見たい」と言っていました。今回がラストチャンスかもしれない。「長男が獲得したスペイン遠征に自分も乗っかろう。」と私は決めました。家族を説得し、職場を説得しました。特に職場は年末の時期であったにも関わらず私の1週間の不在を快く了承してくれました。どんなにサッカーで忙しくても丁寧に仕事をしてきたことがこのときに役立ちました。
こうして長男と私のスペイン遠征が決定したのでした。私にとっては久しぶりの海外です。そして念願のスペインです。胸が高鳴りました。
出発当日は長男と関西国際空港に向かいました。長男は県トレセンの活動後だったので少々疲れていました。それでも今回は私と一緒に空港に向かうので気持ち的にはゆとりがありました。
空港で食事をした後、選抜メンバーと合流しました。長男は1回目と同様にアレビンのカテゴリーでした。このときのメンバーはとても縁深いメンバーになりました。長男を含めた4人がアメージングアカデミーに入団することになったのですから。
約20時間のフライトや乗り継ぎを経て、ようやくスペインのバルセロナに到着しました。長男は仲間と楽しく過ごしていましたが、私はエコノミーの狭さや飛行機の揺れに苦しみましたが、何とか耐えきりました。
ホテルに向かうバスからはエスパニョールのスタジアムが見えました。街にはカタルーニャの旗がいたるところに掲げられ、スペイン王国への反骨心に溢れていました。空は澄み渡るように青く、海風が爽やかに吹いていました。私は勝手にサッカーの匂いを感じていました。
FCバルセロナのミュージアムやカンプノウ見学、バルサショップでの買い物等、バルセロナ市で過ごす日々はずっと刺激的でした。のちに長い付き合いになる「おれ、バルサに入る!」の中に登場する濱田さんとも実際にスペインでお会いし、いろいろと情報交換が出来たこともかなり刺激的でした。本の中の人物が目の前にいるわけですから、つくづく行動すると世界が変わることを実感しました。その中でも特に衝撃だったことは次の2つです。
1つ目はカンビダレットという街クラブとトレーニングマッチです。街中にあるスタンドとカフェ(バル)がついている人工芝のグランド。夕暮れになると自然に集まってサッカー観戦と談義を楽しむ地元の人々。その中でプレイする感情表現豊かな子ども達。私が夢に思い描いていたサッカー環境がまさにここにありました。これこそ「サッカーが日常にある風景」だと思いました。私はひたすら感動していました。
エコノメソッド選抜チームはペナルティーエリアの少し前に引かれたオフサイドラインを使ったこの地域特有のルールで試合をしました。これは常に深さが確保されている日本には無いルールです。チームはゴールキーパーを使ったビルドアップに振り回されていました。日本だったらマンツーマンで前にプレスをかければボールを奪えるのですが、ここではオフサイドラインが深く設定されているので、前に行くと自分達の背後にボールを蹴られてしまいます。このルールだと中盤に大きなスペースが出来ています。そのスペースをどのように使うのかをこの年代の成長課題としてサッカー協会がコントロールしているのです。だからスペインはビルドアップが上手く、中盤に優秀な選手が育つのだと思いました。
実のところ、カンビタレッドの選手たちはいわゆる普通の小学生でした。お腹がぽてっと出ている子もいました。それでもテンポよくボールを動かし、前進が無理だと思うとあっさりゴールキーパーに戻します。これを繰り返す中で、エコノメソッドチームのプレスの緩みを見つけると、そこにさっとパスを通してきます。
試合後、長男に話を聞くと「めちゃくちゃ疲れた。」と言っていました。まさにこれこそクライフが言う「ボールは汗をかかない」です。これを普通の子どもが実践しているのです。これは間違いなくスペインに来た成果でした。
2つ目はカンプノウで行われたチャンピオンズリーグFCバルセロナ対スポルディングCP(ポルトガル)戦を生観戦出来たことです。
日本の常識とは違い、スペインではナイターゲームの開始時刻が21時です。これはそもそもスペインが昼食にかける時間が長いことと、日本に比べて日暮れが遅いことが理由なんだそうですが、それにしても日本と比べたら遅過ぎです。試合終了してバスに乗ることにはもう深夜の12時です。これで次の日に仕事だったら私ならキツいです。
試合はゴール裏の2階席から観戦しました。WOWOWでしか観たことが無い憧れのスタジアムで試合観戦をしている私。長男も興奮しています。でもこの日はイニエスタ選手がベンチ外でした。メッシ選手とブスケツ選手はベンチでした。長男はせっかく生イニエスタ選手が観られると楽しみにしていただけに残念な気持ちでした。私も同じです。
それでもスタジアムに入るとテンションは爆上がりになりました。チャンピオンズリーグアンセムをかき消すように歌う観客のイムノ。アップを始めたメッシ選手を見つけて一斉にメッシコールをする様子。スアレス選手のデスマルケ。ここはまるで劇場でした。決して新しいスタジアムではありません。ガムを捨てた汚れとか、傷がついた椅子等、激戦の歴史が刻まれていました。しかしそれが妙に心地よく、馬鹿デカいのに包み込まれるような錯覚に陥る不思議な場所でした。日本にこんなサッカー専用スタジアムはありません。敢えて言うなら日本の甲子園球場がこんな感じなのかもしれません。
私と長男は試合限定のタオルマフラーを買い、夢見心地でホテルへと帰りました。カンプノウに売っている芝生を買おうとさえしてしまいました。翌日はいよいよ大会に参加するためにバレンシア州に5時間かけて移動します。
試合会場はリゾート施設のような感じでした。私の印象は三重県志摩市にあるパルケエスパーニャの本物版といった感じです。試合会場にはホテルからトロッコバスのようなものに乗って移動するのでまるでお祭りでした。
エコノメソッド選抜チームの初戦は当時ラ・リーガ1部に所属していたレバンテの下部チームです。天然芝のグランドには仮設のスタンドがあり、レバンテのサポーターが大勢陣取り、食べたり飲んだりしながらトップチームさながらの応援をしていました。
長男は7人制で1-3-2-1のシステムで中盤の2枚の左側として先発出場しました。前半は相手の勢いに押されましたが、長男ともう一人の中盤の選手が積極的にボールを運び戦術がはまり、一進一退の攻防になりました。エコノメソッド選抜チームの素晴らしいところはどんな大会でも、参加した選手のプレイ時間を確保するところです。選手を上手くローテーションをしながら、試合は後半戦になりました。
後半は、エコノメソッド選抜チームのペースで試合が進みました。長男の決定的なパスで何度も決定機を作りましたが得点は奪えずにいました。そんな中、長男のドリブルから、チームはボールを左右の深い位置に運び、相手のブロックを広げることに成功しました。エコノメソッド選抜チームは、エリア外で深さをとっていた長男にボールを戻しました。長男は迷いなく左足でシュートしました。ボールはゴールキーパーの手が届かないところに転がり、見事に先制点を決めることに成功しました。歓喜に沸くチーム。長男は私のところまできてハイタッチをしました。顎に手を置いて厳しい顔になるレバンテのコーチ。静まり返るサポーター。ゲームは面白い展開なりました。
試合は1対1の引き分けでした。選手達は勝利を逃して落ち込んでいましたが、コーチはレバンテの下部チームに勝ったことを誇らしく思っていました。この辺りも日本と違うところなのかなと思います。スペインでは選手やコーチはカテゴリーの違いを理解しているのでしょう。
実はレバンテのコーチの中にひときわ異彩を放つ大柄の人物がいました。試合後に長男に声をかけてくれたのですが、その人物はレバンテのレジェンドである元ガーナ代表のエティアン選手だったのです。スペインに来るとこのような人物にフラッと会えるのも魅力です。
初戦を引き分けて勝ち点1を得たエコノメソッド選抜チームは、翌日に行われる試合で勝利出来たら準決勝進出の可能性が高まります。しかしその気持ちが硬さを生んでしまいました。後半にようやく本来のアグレッシブなボールの運びが出来たもののチームは1対2で敗退してしまいました。これによって次のラ・リーガ1部所属のヘタフェの下部チームとの試合で勝利が必須になりました。
本日の2試合目です。試合会場まではバスで移動しました。次のグランドは人工芝です。スタンドとカフェ(バル)があって、会場の雰囲気はトップチームさながらでした。さらには隣のピッチでアトレチコ・マドリードが試合をしていたので、サポーターの声援も雰囲気を盛り上げていました。
興味深かったのがアトレチコ・マドリードの選手は試合開始20分前に15分ほどのアップをしていたのに対して、対戦相手の韓国のチームは1時間前から入念にアップをしていたのにも関わらず、試合結果がアトレチコ・マドリードの圧勝だったということです。文化の違いだとは思いますが、アトレチコ・マドリードは試合前のアップはアップであってトレーニングではないと思っているのでしょう。この出来事も新鮮な気づきでした。
長男はこの日も1-3-2-1の中盤で先発しました。ヘタフェはサポーターの声に後押しされて、ファールを辞さないプレイで激しくディフェンスをしてきました。しかし、エコノメソッド選抜チームも後がありません。負けじと押し返していきました。試合は一進一退の攻防になり、後半終了間際まで2対2のドローでした。そんな中、長男が自陣からボールを運び、ゴール前でファールをもらいました。フリーキックのキッカーは長男です。私は事情によりエコノメソッド選抜チームのビデオ撮影をしていましたが、撮影をそっちのけでゴールを祈ってしまいました。長男が蹴ったボールは無情にもノーゴール。試合はそのまま引き分けで終わりました。スペイン遠征の試合はこれで全てが終わってしまいました。またチャンスは掴めませんでした。
バルセロナ市に戻りました。引き続き現地で個人クリニックを受ける子どもたちと別れて、私達は空港に向かいました。スペインに来て、たくさんの刺激を受け、視野を広げただけではなく、目標に対する答え合わせが出来た私は、十分に満足できる遠征だったのですが、長男にとってはまたしても未来を掴むことが出来なかった遠征になってしまいました。日本に戻ってどうしたらいいのか。私がスペインに移住したら…。そんなことまで考える岐路になりました。
実はエコノメソッド選抜チームがラ・リーガの1部の下部チームに負けなかったという結果がこの先に新たなチャレンジを生み出すことになるのですが、このときの私はただただ未来が見えずに迷子状態になっていました。
次回は「県大会4位が限界」です。