エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
(仮の題名)「サッカーが大好きな国でプレーするまでの話」

父の退職と奈良生活の始まり

父の退職と奈良生活の始まり

選手寮が無い奈良クラブユースに加入するということは,私か妻のどちらかが奈良に引越しして一緒に生活するということになります。私達はどちらも公立小学校の教諭でしたので奈良県への異動は不可能でした。つまりどちらかが退職をすることになります。家族そろって奈良県に近い地域に異動する方法も考えましたがそれは現実的ではありませんでした。何度も話し合った結果,サッカー面のサポートを優先して私が退職をすることにしました。20年以上も務めた教職を退職すると言うことは家族の一大事です。経済的に不安定にもなります。しかし,それ以上に長男の目標をサポートしたいと言う想いが強かったのでした。

すでに週末だけの活動でしたが二男が奈良クラブジュニアユースに所属していたので,私は退職,二男は転校と言う形で奈良への引越しを決めました。三男は妻と地元に残ります。私はそもそも教職に対して希望を見出せなくなっていたので人生の転機にもなるのですが,慣れ親しんだ中学校を転校することになる二男はかなりの決断でした。それでも私についてきてくれた二男には感謝していますし,山梨から帰ってくる長男との男3人の生活が楽しみでもありました。

長年勤めた教職に別れを告げ,お世話になった校長の面々と一緒に退職の式を終えたその足で奈良へと引越ししました。まだまだ中2病が継続している長男とは関係が不穏でしたが,二男のおかげでバチバチの状態を避けることができました。

奈良では練習場ができる予定の町にアパートを借りました。私は大学時代と教職2年目までアパート暮らしをしていたので不安は少なかったですが,長男と二男はアパート暮らしが初めてです。ましてや父との生活にはかなり不安だったと思います。

奈良の山が桜の花で桃色に染まる中,私は専業主夫として慣れない家事の日々に,長男はパソコンを使った通信制の高校の授業と練習の日々に,二男は初めての転入と練習に日々に突入していきました。

こうして期待と不安の奈良生活がついに始まったのでした。

 

次回は「練習グランドへ送迎の日々」です。