J3入会に安堵
奈良クラブはホーム戦を奈良市にあるロートフィールドで開催しています。ホーム戦の運営補助にはアカデミー生が駆り出されます。二男と長男も当然です。試合中はボールボーイや得点係,水まき,担架等の仕事をします。試合後は撤去作業です。二人とも慣れたものです。
二男が加入した年はエコノメソッドを導入した初年度でした。来場者数が100人台というときもありました。雷鳴で試合が延期にある事もありました。
それでも長男が加入した年は,負けないサッカーが定着し,後期になれば確実に勝ち点も積み上げていきました。
J3加入条件の一つである順位はクリアできそうなところまでたどり着きました。問題はホーム戦で平均入場者数2000人です。奈良県はおせじにもまだサッカー文化が定着しているとは言えません。奈良クラブの認知度も低いです。毎試合,1000人入ればなかなかの入場者数でした。
そんなとき,奇跡的な追い風が奈良クラブに吹きました。当時,私の地元の「鈴鹿ポイントゲッターズ」にあのカズこと三浦知良選手が在籍していました。このタイミングで奈良のホーム戦に鈴鹿がやってくることになったのです。もし前期だったらと思うと奈良は神がかっているとしか思えません。
なんと当日は10000人を超える入場者数をたたき出しました。ロートフィールドには溢れんばかりの人が押し寄せました。私は長男の試合の送迎のためにロートフィールドには行っていませんでしたが,それはそれはすさまじい光景だったそうです。たった1試合で平均2000人のノルマをクリアしてしまいました。
そしてその時はやってきました。その試合は雨でした。選手達はホーム戦でJ3昇格を決めるために死に物狂いで走り続けました。劇的ゴールの末,歓喜の瞬間はやってきました。ついに奈良県にJクラブが誕生したのです。歴史的瞬間をスタジアムで共有できた人は生涯の奈良クラブサポーターになれるでしょう。それぐらいの雰囲気が会場には有りました。
私はその瞬間をスタジアムから感慨深く見つめていました。
これで長男と二男はJクラブのアカデミー生になったのです。二人ともそれぞれの役割でクラブの発展に貢献しました。もともとあったクラブに入るのと,これからのクラブで一緒に昇格するのとでは,やはり思い入れが違います。どちらが正解でもありませんが,私達は奈良クラブの物語の一部になったことは間違いありません。
次回は「タウンカップ全国大会」です。