エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
サッカー愛にあふれたうんちく話

プチ審判論

私達,サッカーファンは各カテゴリーの試合を観ては,うんちくを語り合います。

時にはレフェリングに対してなかなか厳しいうんちくをまくしたててしまうこともあります。

プレイヤーをしていたときは,熱くなりすぎてレフェリーの判定に不満を漏らしたり,クレームを言ったりもしていました。

イエローカードをもらうこともありました。

若気の至りのような,それでいてそれもサッカーの楽しみ方のような…。

ただし私はプレイヤーだったのでレフェリーもファミリーでした。

仲間がいて,相手がいて,レフェリーがいて.試合が成立するのです。

ちょっと申し訳ないですが,試合の成立に関して「観客」は関係ありません。

だから,観客が愛すべきチームを想って,レフェリーの判定や振る舞いに不平や不満を言いたくなる気持ちは理解できるものの,スポーツを楽しむ仲間という前提を忘れてはいけないと思います。

 

私は20年ほどJFAの3級審判員の資格を所持しています。

最近は笛を吹いたり旗を持ったりすることはほとんどないのですが,プレイヤー時代は帯同審判として主審や副審をしていましたし,ジュニアのコーチ時代は公式戦の笛も吹きました。

当然,選手達や監督,コーチ,観客から文句を言われたこともあります。

自分が間違っていたと反省するときもあれば,文句に対して不満に思うこともありました。

ジュニアの主審は一人で行うことが多いので,かなり孤独ですし,オフサイドラインを正しく観ることはとても難しいです。

有償の審判と無償の審判とでは責任が違うかもしれませんが,試合結果で進路が変わる可能性があるプレイヤーや保護者にとっては,誰が審判をしていたとしても結果は切実なものです。

だからこそ審判にはやりがい以上にストレスが大きくなるのです。

 

皆さんは毎年毎年更新される競技規則を手に取ったことはありますか。

文章は難解ですし,かなりの情報量です。

これを完璧に理解しつつ,多くの方の感情が渦巻く試合中に,正しい判断をすることは相当難しいです。

カテゴリーが高い試合の審判員は,相当な努力と経験を重ねてその試合にたどり着いているのです。

私なんて,とてもとても無理です。

 

実は,私もそろそろ審判に復帰することになりそうです。

そこで今年度の変更点を確認しましたが,やっぱり覚えるだけで精一杯です。

様々なテクノロジーを駆使して試合が行われる昨今は,人的なミスが減るというメリットはあります。

「三苫の1mm」なんて人の目で判断することは不可能です。

ただし,それによってルールがますます複雑になり,もはや人ができるレベルを超えてしまいました。

だから敢えて提案をします。

「サッカーは人がプレイするからこそミスが当たり前のスポーツ」

このように考えてください。

サッカーはピッチ内に22人が入り乱れて,一つのボールを奪い合う激しく熱いスポーツです。

だから当然トラブルは起きます。

だけど私達はロボットではありません。

審判もコンピュータじゃありません。

人がプレイしているのです。

1+1が2にならないときもあります。

それもサッカーです。

「ミスも含めて楽しかった」と思えるように,お互いが尊重し合うことが,スポーツを楽しむことであり,サッカーの本質ではないでしょうか。

試合後に相手チームや審判も交えて,試合の振り返りをしたり,次の試合に向けて改善案を提案し合えたりしたら,それこそ真のリスペクトだと思います。