今回はかなり偏った話題です。
スルー大歓迎です。
私が教諭になった1年目はまだワープロ(死語かも)を使っていました。
卒論もワープロでした。
でも2年目ぐらいからはウインドウズで「一太郎」というソフトを使うようになりました。
まだワードやエクセルは使っていません。
3年目になるといよいよ「情報教育」が積極的にカリキュラムの中に取り入れられるようになりました。
情報教育担当教員まで現れました。
その頃の私はかなり若手でしたので,それらを比較的受け入れることが出来ましたが,本音ではあまり好んでいませんでした。
ちょうど総合的な学習の時間が始まったこともあって,メールを使った学校間の交流や,動画を使った町紹介なんかにも取り組みました。
でも,やっぱりあまり好めなく,積極的に学ぼうと言う気持ちにはなれませんでした。
それが反省です。
若いうちに,柔軟なうちに,敢えて学んでおけば,
「使えるけど使わない」
という格好良い状態になれたのですが,
現在の私は
「使えないけど使わないといけない」
という残念な状態になってしまいました。
一人1台のパソコン(またはタブレット),「スクラッチ」というソフトを使ったプログラミング教育,働き方改革のための「Google Workspace」の活用が当たり前になり,パソコンを扱えない教員は使えない教員になりました。
電子黒板は各教室にあり,「ロイロノート」等のアプリを駆使した授業が行われています。
データは「クラウド」で保存され,ペーパーレス化はますます進んでいます。
デジカメなんてもう過去の産物です。
いつの間にかベテランと呼ばれるようになった私は時代遅れの存在になったのでした。
今回,私は何が言いたいかと言うと,
「停電になってしまえ!」
ということです。
過激なことを言っていますが所詮はオヤジのうんちくです。
これらの便利なものは電力が無ければ役に立ちません。
停電になったら世の中はどうなるのでしょう。
やっぱり絶望するのでしょうか。
当然,私も電力のおかげで安心安全に生活が出来ているので,全てを否定しているわけではありません。
とても有難いと感謝しています。
気をつけなければいけないのは,便利な物を使うのは何を隠そう「人」だということです。
「人」が使うから便利な状態になるのです。
例えば,こんなことがありました。
学校での一コマです。
朝の会で1分間スピーチが行われていました。
ここまではよくある光景です。
しかし現代はここからが違います。
スピーチの内容を説明するために,子どもたちがインターネットで用意した画像が電子黒板に映し出されます。
昔なら写真を拡大コピーしたり,実物を用意したりしました。
一見,華やかで効果的な気持ちになりますよね。
実は違います。
こどもは用意した原稿が書かれた自分のタブレットを見つめながら話し,聞いている子ども達は電子黒板の画像を見つめているのです。
「スピーチをしているこども」と「聞いている子ども達」がアイコンタクトをしていません。
これって本来のスピーチの目的を達成しているでしょうか。
これが「便利」を使う「人」の課題です。
私は,教員もこどもも「便利」を使うことで,出来た気になったり,分かった気になったり,つながった気になっただけだと思っています。
「便利」はこのような課題を持っています。
ラインやチャットでよくありますが,メッセージを発信したら相手はそれを理解してくれたと思います。
でも実際は違いますよね。
「メッセージを送りましたよね。何でその通りにしないのですか?」
何てトラブルがよくあります.
相手は自分の思うように理解してくれることは少なく,便利なだけでは心は通じ合わないのです。
私はスピーチをする際は絶対に原稿を読ませませんでした。
(実は原稿は事前に用意して,何度も練習し,神(紙)様としてポケットに忍ばせておきます)
生の声で話させました。
電子黒板を使っても良いし,タブレットを使ても良いし,現物を使っても良いですが,必ず子どもたち同士のおへそを向き合わせました。
スピーチに対して質疑応答をしたり,自分と重ねた感想の交流をしました。
この活動には10分はかかりました。
1日の時間割のことを考えると朝の会でスピーチに10分はちょっと長いです。
だからこそ「こなす」のではなく「やった気になる」のではなく,「人と人が通じ合う」きっかけにするべきだと思っています。
こんな面倒臭い私と向き合ってくれた(向き合うしかなかった)こどもたちには感謝します。
でも出来た気になったスピーチで終わらなかった時間は,いつも真剣で楽しく充実したものでした。
少なくとも私には(^^♪
電力はリフティングをしてくれませんし,パス&コントロールもしてくれません。
腹が立ってケンカすることも出来ませんし,嬉しくて抱擁することも出来ません。
「実体験に勝る学びは無い」なんて言いますが,それは間違いではないと思います。
「人」が「人」として成長するために「便利」を上手に使う。
これぐらいの世の中がちょうど良いのではないでしょうか。
とは言いながらも,頑張って「便利」が使えるようにはなりたいので頑張ります。
これからは若者にも聞きまくります。
遠慮しません。
でも専門用語が難しくて,用語の説明から聞く私…残念すぎる。