サッカーの試合では,相手よりも多く得点を奪うことが出来たチームが勝ちます。
両チームは勝つために,「相手よりも多く得点を奪う方法」と「相手よりも失点を減らす方法」を両輪で考え,戦略を立てます。
サッカーは攻守が一体になっているので,どちらかだけを考えるのでは足りません。
ただしチームによって比重は違います。
攻撃の比重が高いチームと守備の比重が高いチーム。
それぞれのチーム事情が表われる興味深いところです。
攻撃に比重が高いチームはボールを中心にプレイします。
一方,守備に比重が高いチームは相手を中心にプレイします。
また,攻撃に比重が高いチームは守備に不安を抱え,守備に比重が高いチームは攻撃のバリエーションを欠きます。
だったら半々の戦略を立てたらと思うのですがそれはそれで魅力に欠けます。
チーム事情はチームの哲学や財力,地域性も含まれます。
常に攻撃的または守備的と言うわけにもいきませんから,時代の流れに合わせて,柔軟な戦い方が必要になります。
そう考えると,どんなに監督が代わっても哲学がぶれないチームは,社会的に文化価値が確立しているチームと言えます。
例えばFCバルセロナとかレアル・マドリードとかバイエルン・ミュンヘンとかリバプールとか。
それでも時代の流れの中に合わせて哲学に基づいて嗜好する戦術を選んでいるのですから普遍はありません。
きっとそれはサッカーの試合には相手があるからでしょう。
相手がこうだからこう。
それがサッカーです。
でも,こどもの育成は違います。
学校と同じで学校教育目標は簡単に変わるものではありません。
なぜなら学校の教育は学校教育基本法に基づいているからです。
サッカーにおける育成年代も同じです。
こどもの教育に関わるので,クラブごとの哲学による攻守の比重は違えど,サッカーの原理原則を学ぶことが目的になります。
サッカーの原理原則が学校教育基本法にあたるわけです。
だから進路のために勝利至上主義に寄っていくことは本来の育成の目的には合いません。
サッカーの試合は勝敗を楽しむものであり,どちらの結果になったとしても,全力を尽くすことが大切です。
そのベースを育成年代で育てる。
それが生涯を通してサッカーを楽しむために必要なことだと思います。
サッカーをプレイするカテゴリーは人によって違います。
プロとアマ。
それは仕事か仕事ではないかの違いだけであり,人の価値や優劣とは関係が無いと思います。
プロは勝者。
アマは敗者。
そんな一元的な見方で人を判断することに価値はありません。
人生はもっと色々なことがあり,悩んで,もがいて,選べなくて,でも選ばなくてはいけないから結局は選んで進む。
その繰り返しが人生です。
あれ,サッカーにおける「認知・分析・判断・実行」は人生と似ていますね。
今回のブログで何が言いたかったのかというと,
VIVA LA VIDA(人生を生きる)
です。
今年のFCバルセロナの躍動を観ていて,人生はもっと熱く,優しくて,豊かであるべきだと思いました。
私に出来ることはする。
以上です!