エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ぶらっと寄り道話

高校生であることが人権

今回はデリケートな内容なのであくまでうんちくおじさんの持論だと思ってください。

 

某高校部活動でのこども間のトラブルから学校の対応の問題,某組織の対応にまで発展した今年の高校野球での「違和感」についてうんちくします。

途中で辞退することになった某高校の問題ついても元学校関係者なので色々と思うことがありますが,憶測だけでうんちくすることは関係者にとって不必要だと思うのでここでは避けます。

こども達が過去から学び,他者を恨まず,残りの人生を優しく丁寧に生きていく道を選んでくれることを願うのみです。

 

今,私が感じている「違和感」は,別の某高校所属の身体的な「障害」がある選手を過剰に取り上げるニュースについてです。

目に見える「障害」を持つ彼はこの舞台に立つために,「障害」を言い訳にしない努力を続けてきたことは十分想像できます。

家族もそんな彼を懸命に支えてきたことでしょう。

その結果,「障害」が無い選手に引けを取らない実力を身に着けることが出来た。

だから高校野球という実力社会の中で他者を押しのけて出場している。

私からしたらそれだけです。

なのに,なぜ「障害」があるという理由で,こんなにもニュースとして取り上げられるのでしょうか。

もしかしたら他に発達「障害」を抱えている選手がいるかもしれませんよ。

その選手や家族も懸命に努力しているかもしれませんよ。

それとも目に見えない「障害」は,一般的に分かりづらいからニュースにしないのですか。

きっと目に見える「障害」を乗り越えた選手と家族の物語は美談になりますし,某高校の問題を大会期間中に上書き出来るチャンスなのでしょうね。

そんな邪推をしてしまいます。

私はこういうところが今回の高校野球の本質的な問題だと思います。

進路のため?

利権のため?

退会の規模が大きくなり過ぎたがゆえに,期待度が高くなり過ぎたがゆえに,高校生の「純粋さ」が失われてしまいました。

極論を言えば,高校野球は「野球を好きな高校生が他校との勝負を楽しむ部活動」なのですよ。

「野球が好き」に「障害」の有無は関係ありません。

ルールに基づいてプレイしているですから彼も他の選手と同等なのです。

彼が「障害」が原因で他の選手よりも捕球から送球までに時間がかかるとしても,勝負を競っている以上,相手チームが勝つために彼を狙うのは当然の戦略です。

それとも彼を狙うのはルール違反なのですか。

スポーツマンシップに反しているのですか。

正々堂々と勝負をしていないと言うのですか。

ちなみにサッカーなんて,相手の弱みを突き,こちらの強みを出し続けたチームが勝つという意地悪なスポーツですよ。

数的優位を使いまくりますよ。

チームはそれを分かって彼を起用しているのですから,極めて「人権」が守られたチームだと私は思います。

彼の物語よりも彼とともに歩んでいるチームの物語をニュースにして欲しいですね。

 

私は目標に向かって頑張っている全ての高校生が素晴らしいと思っています。

部活動に所属しているとか勝ち負けとか関係ありません。

そこに上も下もありません。

3年間しかない高校生活を全力で駆け抜け,仲間や先生とともに青春を謳歌出来ることが,何よりもかけがえのないものだと私は思います。

もはや「高校生であること」がそもそも「人権」なのです。

勝利至上主義の中で,評価に苦しみ,好きだったことが嫌いになり,こぼれていった多くの高校生たちがいます。

彼らも本当は輝きたかったのです。

光があれば影があります。

影にいる高校生達には伝えたいです。

「でも今はその時じゃなかった」

それだけです。

彼らの「人権」は誰にも奪えないのです。

学生を終えた先の人生の方がずっと長くて波乱万丈です。

だから,たった18年間で人生を悲観しないでください。

今が良いからと言って驕らないでください。

これからも,丁寧に生きながら,思いやりを大切に,自分らしい人生を模索していってほしいですね。

 

以上,おじさんのかなり偏ったうんちくでした。

失礼します。