今回は高知ユナイテッドSCの騒動に端を発したパワハラについて,私なりのうんちくを綴ります。
恥を覚悟で告白します。
私はパワハラ教師でした。
こども達を大声で叱り,支配し,恐怖政治を教室に持ち込んでいました。
質が悪いのが、それが「愛」のある指導だと信じていたことです。
本気で叱れば想いはこども達に届くと思っていました。
実は届いたのではなく私におびえていただけなのに。
なんて私は馬鹿野郎なんでしょう。
考えてみてください。
自分のこどもが,学校で先生に大声で叱られていたら親として嫌でしょう。
そんなに理由があっても,教師という立場を使った強引な指導は「パワハラ」でしかありません。
でも,それが学校現場にはあるのです。
そんな教育を受けていたこどもがサッカーの指導者になったら,どんな指導を行うのかは容易に想像が出来ますよね。
きっと「パワハラ」はいつしかこどもと本気で向き合う「熱い指導」にすり替わり,目的を達成するために「必要な指導」だと勘違いをしてしまうのでしょうね。
自分の身を守るために「きれいごと」を言いたいところですが,そんなことを言っているからいつまでたっても「パワハラ」は無くならないのです。
こどもだろうが大人だろうが関係は有りません。
一人の人としての尊厳を守ることが何より大切です。
それが社会の一員としてのあるべき姿であり,尊厳が守られているから,安心して生活が出来るのです。
教師はこどもを育てます。
親はこどもを育てます。
だからと言って教師がこどもを支配する権利はありません。
親もこどもを支配する権利はありません。
スポーツの世界も同じです。
指導者は選手を育てます。
でも指導者が選手を支配する権利はありません。
日本には年功序列という言葉があります。
年長者を敬うということは社会的に普遍な価値観です。
本当はそれで十分なのです。
それなのに年功序列をかさに着て,年長者が年少者を支配している社会が存在します。
スポーツの世界は「体育会系」なんて言葉で年功序列を都合よく利用しているから,この夏に起きた甲子園のような騒動が起きるのです。
なぜ年少者が年長者のお世話を強要されるのですか。
なぜそれをしないと立派な年長者になれないのですか。
強要された人は結局は次の年少者に理不尽を強要するのではないですか。
ぞれこそ負の連鎖です。
もうそんなことは止めましょう。
私たちは感情を持った人なんですから,止めようと決めたら止められます。
変わろうと決めたら変われます。
こども達が安心して生活できる未来のために頑張りましょう。
私も一緒に頑張ります。