今回はだらだらと綴ります。
きっと落ちません。
ご容赦ください(^^;)
私は元小学校教諭でした。
戻ったら元ではなくなるのですが現在は元です。
ニュースを見ていると,学校関係のニュースは事欠きません。
本日は元バレーボール日本代表の教諭が部活動で体罰を行ったというニュースを目にしました。
本人も認めているということでした。
県バレーボール協会は彼に1年間の謹慎処分を与えたそうです。
どうして体罰が発覚したかというと,協会のホームページに情報が寄せられたからだそうです。
いわゆる内部告発です。
想像するに,誰かがそうでもしないといけないほど体罰は常習化していたのでしょうね。
典型的な「力」で人の心を支配する指導ですね。
この方はずっとこどもの頃から「力」で支配されてきたのだと思います。
そして,この方の周りもそれが当たり前だったはずです。
だからこの指導法を疑いません。
これも想像ですが,もしかしたらこども達の中にも,この方の逆鱗に触れる行動をするこどもがいたのかもしれません。
そうなれば余計に「力」でねじ伏せようとするでしょうね。
それ以外に正解を持っていませんし,監督が試合に出場する選手を決定できますし,進路にも影響力があるので,言い方はきついですが「脅迫」は簡単です。
高校野球も高校バレーボールもそう,きっと体育会系の部活動には発覚していないだけでこのような問題が山積していると思います。
どうしたらいいのでしょうね。
こどもも親も望む未来を実現させるためには,このような権力に従うしかないのでしょうか。
一方,こんなニュースも目にしました。
ある保育士の方が,2歳児に暴言を吐いたり暴力をしたりしたというのです。
なぜそのことが発覚したかというと,こどもの様子に不信を感じた保護者の方が,こどものカバンにボイスレコーダーを仕込んだからです。
保育士の方の行為はあってはならないものなのですが,ボイスレコーダーを仕込んで録音するということは,いわゆる盗聴です。
そうでもしないといけないぐらい保護者の方が追い詰められていたことは理解できます。
言葉は悪いですが保護者の反逆ですね。
保護者がこどもを守る手段としては,このような行為は当り前になっていくのかもしれません。
明らかに歪んでいますよね。
教育機関は密閉された場所であることも私は知っています。
それはプライバシーの保護という観点では素晴らしいですが,どちらのプライバシーが保護されているのでしょうか。
こどもの人権と教師の人権。
本来はどちらも守られるべきものです。
だから「力」で支配するという考え方そのものが大問題なのです。
社会の中には立場があります。
でもその立場は社会的なものであって人間の尊厳とは関係がありません。
社会が円満に回るために必要な立場はあれど,人間社会である以上,一人一人が幸せに生きるという目標を奪うものであってはなりません。
どうしたらいいのでしょうね。
一つの解決法があります。
それは直接話をすることです。
その人の声色,アクセント,表情,佇まい,目線,しぐさ,香り,等々。
それらは人を繋ぎます。
いい声だな。
関西訛りがあるな。
この人,こんな笑い方をするんだ。
姿勢が良いな。
まっすぐに見つめてくるな。
いつも髪の毛を触っているな。
どんな香水を使っているんだろうな。
あんなに嫌だなと思っていた人が直接話してみるとそうでもなかったり,良い人だなと思っていた人がそうでもなかったり,それらっていわゆる五感なんですよね。
その人の五感はその人の真実です。
つまり「五感で繋がる」ことが,デジタルでバーチャルな世の中には,余計に必要だと思うのです。
でも,直接話すって勇気が要りますよね。
文字のやり取りで済むのなら「楽」です。
でもそれでは繋がらないのです。
最近は授業時間の確保もあり,年度当初の家庭訪問を辞めている学校が多数あります。
でもそもそも何のために家庭訪問をしていたのでしょうね。
授業時間を確保することで,先ほどの体罰のような「力」の支配は無くなるのでしょうか。
決して家庭訪問賛成派ではないのですが,教師と保護者,教師とこども,保護者と保護者,こどもとこども,誰もが安心して繋がれる方法は,時間的な制約のない「ゆとり」の中にしかありません。
数字に追いつめられて,いつもピンと張りつめている私たちには,「遊び」が無いんですよね。
「ゆとり」と「遊び」はいつの時代も人の心を優しくします。
なんか,時代に逆行しているようですが,本当に大切なことは普遍だと思います。
はい,やっぱり落ちませんでした(*^^*)