エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
願いや悩みをゴールへ繋ぐ話

言語化を疑う

休憩と言いながら少しだけポジティブになってきたので連日の投稿をします。

今回は最近,気付いたことです。

それは言語化についてです。

 

近年,「言語化」という言葉が一般的になりつつあります。

グーグルで検索するとAI先生が,

 

頭の中にある曖昧な思考,感情,アイデアなどを,相手に伝わるように明確な言葉や表現に変換する能力のことです。

自分の考えを整理してわかりやすく伝えることで,自己客観視や他者との円滑なコミュニケーションにつながります。 

 

と教えてくれました。

主に言語化を求められるのはアスリートだと思います。

これまでの私は言語化にそれなりの価値を感じていました。

なぜなら自分の考えを整理することは次回のプレイに繋がるからです。

 

しかし,現在私達が抱えている問題から,「言語化は本当に必要なのか?」と思うようになりました。

なぜなら,AI先生が教えてくれたように「頭の中にある曖昧な思考,感情,アイデア」を言語にするということは,限りある言語に当てはめる作業だからです。

ただでさえ曖昧なのに,「この思考,アイデア,感情はこの言葉に当てはまるかな?」と選ぶわけです。

時にはわざわざ言語化するために「しっくりとこない言葉」を無理やり選ばなければいけないこともあると思います。

アスリートほど,この繊細な部分を大切にしているはずです。

一度,言葉を選び,音にしてしまった後は,もう戻れません。

きっと頭の中が言葉と音に支配されるでしょう。

それって怖いですよね。

 

とんでもない読書量の人とそうでない人では「語彙量」が違うはずです。

つまりは言葉の選択肢の数も違うということです。

さらには日本語と英語のように言語が違えば言葉のイメージも変わります。

だから「言語化」された思考や感情,アイデアは,必ずしも正しく整理されないし,正しく伝わらないと言うことです。

 

私達はこのことに気付いて,かなり気持ちが楽になりました。

だってそもそも頭の中は曖昧なんですから。

千差万別。

十人十色。

絶対に同じ人間はいません。

だからコミュニケーションを通して感じるしかないし,それらを無理に「言語化」して相手に伝える必要もないです。

絶対に正確に伝わりません。

科学の進歩は生活を便利にしました。

しかしどんなにデータを分析し,数値化したとしても,それすら人間が無理やり「見える化」しただけなので,判断材料程度にしかならないのです。

なにより大切にしなければいけないのは本人の感覚です。

「そんな感じかな」

「良い感じやと思う」

「今のは悪いな」

「ちょっと違うと思う」

これらの言葉って曖昧ですよね。

でもアスリートはそれ以外に表現できないのです。

NHKの番組「スポーツ×ヒューマン」の中でスピードスケーターの高木美帆さんがインタビューで

「自分の感覚内の話で言語化できない」

と話していました。

その後は目線を少し上に向けて,言葉を探しているようにしながら,何度も「感じ」という言葉を使っていました。

突き詰めた人ほど,そうなるのだと思います。

高木選手がたどり着いた言葉は,スケートのことをこんなに考えられる自分は「幸せ」だったのですから,勝手に胸が熱くなりました。

私たち聞き手はもっと想像力を働かせないといけませんね。

 

どうですか,皆さん。

これからはもっともっと曖昧になりませんか?

感覚的になりませんか?

想像しませんか?

私はヒューマン(人間)らしく生きるということはそういうことだと改めて思いました。