三男が15歳になりました。
三男が生まれた時,私は6年生の担任をしていました。
その学年は色々と事情があり,簡単に言えば元気がありすぎて,本来は2学級の人数だったところ,少人数の加配を使って3学級に分けていました。
私は縁があって,いや正直言えば誰も持ち手がいなくて,この学年の担当は3年目でした。
6年間のうち3年間が私と一緒なのです。
なんか,かわいそうで仕方が無いですね。
当時の私はまだまだ若く,勢いがあったので,多少強引に学級をまとめていました。
保護者の方々には未熟な学級経営を温かく見守っていただけていました。
感謝しかありません。
教育現場の「いじめ問題」ですが,私が考えるキーパーソンはズバリ「保護者」です。
教師と保護者が繋がっていると「いじめ」はかなり抑制が出来ると思っています。
人が集団生活をしていればトラブルは日常茶飯事です。
未熟なこどもならなおさらです。
それが徐々に悪質化していき,「いじめ」にまで発展する一つの要因として,私は学校の中にある「多数決」が原因だと思っています。
学校は多様な生活背景のこどもが生活をする場所です。
生き方が多様なら考え方も多様です。
その多様さを一つにまとめることは大変です。
でも学校はまとめないと学級崩壊に繋がってしまいます。
その方法の一つが「多数決」です。
学級目標を多数決で決める。
学級のルールを多数決で決める。
学級遊びを多数決で決める。
皆さんにも手を挙げた友達の数を数えた記憶がきっとあると思います。
つまり学校は多数派が一般的や正義になりやすい組織なのです。
多数派が一般的で正義ということは,少数派はどうなるのでしょうね?
「いじめ」はそうやって少数派の誰かが多数派に大勢に苦しめられて起きるものなのです。
多数派は一般的で正義です。
自分達が普通なので,悪いことをしているという自覚が起きません。
ついには「多数派に従わない少数派が悪い」という乱暴な論理に陥ります。
そこで重要なのが保護者です。
私は過去にこの保護者との関わりで大きな失敗をしました。
保護者間にも「いじめ」はあります。
保護者間にある多数派に従わないと関係性も崩れます。
一度崩れたらそれはこどもにも影響をします。
だから保護者は自分のこどもがいじめられないように,懸命に大人の関係を続けているのですが,私はそのことを十分に受け止めずに,「いじめ」をしているこどもの保護者に対して,多数派の一般的な正義を振りかざしたのでした。
まだまだ若かったですがそれが間違っているとも思えませんでした。
その保護者は若い教師に少数派のレッテルを貼られたました。
プライドが深く深く傷つけられたはずです。
その保護者がとった行動は,私への執拗なクレームでした。
徐々に私は疲弊していきました。
私が弱っていく様子を見ていたこども達は,
「あ,この教師は私達を守ってくれない」
と思ったのでしょう。
私はこどもの「いじめ」を止めるどころか,私がこどもから「いじめ」を受ける立場になってしまったのです。
こどもが多数派で,教師である私が少数派です。
「私を追い出しパーティー」なんてものがこども間で開かれたと風のうわさで聞きました。
そうなったら,もうまともな学級経営は出来ません。
私は学級崩壊というものを経験して,こどもが怖くなり,保護者が怖くなり,「仕事は命がけ」なんだと実感したのでした。
もう20年近く前ですが,今でも胸の奥がギューッと押し付けられるような痛みがあります。
まさにトラウマですね。
それぐらいの出来事でした。
そんな経験があったので,私はいつも保護者の気持ちを考えるようになっていました。
保護者はこどものことが心配です。
こどもがかわいくて仕方が無いのです。
だからこれまで以上に連絡帳でやり取りをしたり,家庭訪問でささいな話をしたり,学級通信でこどもの学習の様子や授業の感想,日記等を紹介したりしていました。
また,当時はPTAの懇親会という名の飲み会なんかもあって,良くも悪くも保護者との距離が近く,共にこどもを育てようという意識もありました。
それでも起きるのが「いじめ」ですが,重篤化する前にアプローチ出来るように,繋がりを大切にしていました。
現在の学校の体制を見ていると,働き方改革もあり,過去にはあった心の繋がりが希薄になってきていることは否めません。
だからと言って,多くの教師に「昔のようにもっと働け」と言いたいわけではありません。
時代の変化に合わせて学校や保護者が変化していくことは当然です。
しかし,大切なことまで変化する必要な有りません。
私達は人です。
感情があります。
せめて「相手の気持ちを想像すること」まで働き方改革で失ってはいけないのです。
教師は保護者の気持ちを想像する。
保護者は教師の気持ちを想像する。
それが結局はこどもの気持ちを想像することにもなるのです。
だって教師も保護者も昔はこどもだったのですから。
今,私達に必要なことは「こども心を取り戻す」ことなのかもしれませんね。
そんな多感な6年生を担当していた時に生まれたのが三男でした。
熱く綴りすぎて,ずいぶんと長い前置きになってしまいました。
こんなことを綴ると批判をされるかもしれませんが,私は長男が生まれてからはずっと女の子の誕生を期待していました。
でも二男,三男と続きました。
それも運命。
こどもが出来るだけで奇跡なのですから,有難いことですので,その都度,懸命に名前を考えました。
通勤中の時間は,名前を考える時間でした。
私はどうしても兄弟の名前には物語性が欲しいと思っていました。
そこでついにひらめきました。
そのひらめきの素晴らしさに感動した私にはフロントガラスから見える景色がキラキラと輝いて見えました。
個人情報なので名前は綴りませんが,長男から二男へと続き,三男で完結するという物語が出来上がりました。
当時担任していたこどもたちに名前の由来を話したら「ふーん」っていう冷たい反応でしたが,成長した彼らも今は親になっていると思うので,私の気持ちを理解出来るんじゃないかなと勝手に思っています。
親にとってこどもは宝です。
一生涯をかけて守りたい存在です。
そんなこどもの誕生日は嬉しいに決まっています。
ましてや私にとってはこども達は生きる希望です。
おめでとう,三男。
私の教訓を思い出させてくれてありがとう。
今は教師ではありませんが,どんな仕事をしていたとしても相手の気持ちを想像できる人であり続けたいですね。
