エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ちょっといい学校話

「言葉」を疑う「感覚」を大切にする

昨年末からSNSによる「いじめ」動画の拡散問題が起きています。

辛い思いをしている当事者のことを想うと心が痛みます。

この問題は非常にデリケートです。

私ごときがブログで持論を述べることは避けるべきなのかもしれません。

しかし元関係者として少しでも皆様の参考になればと思い,あえて私の経験を述べさせていただきます。

まずは「加害者」と「被害者」という言葉を使うことについてです。

 

私は過去にある保護者からこう言われました。

 

「先生,今回のことは私のこどもが悪かったのかもしれません。でも親として,我が子が先生から加害児童と呼ばれるのは辛いです」

 

私が「加害」という言葉を使ったわけではありませんが,この時,私は「加害」という言葉の重さを痛感しました。

親にとって大切な我が子が「加害者」と呼ばれたら,言葉が持つ「冷たさ」や「鋭さ」が胸に突き刺さるのだと知りました。

当時,私には未就学の息子が3人いました。

まだ「加害者」と呼ばれる状況に出会っていませんでした。

だから,この保護者の言葉にドキッとしたことを鮮明に覚えています。

 

SNS上には未成年のこどもに向けて「加害者」「被害者」という言葉が飛び交っています。

きっと多くの方々が「いじめ」を無くしたいという思いから,言葉を発して「加害者」を問いただし,「被害者」を心から心配してくれているのでしょう。

ですが,その「被害者」という言葉ですら,もしかしたら誰かの胸に突き刺さるかもしれないのです。

私達は普段から何気なく使っている言葉にもっと想像力を働かせるべきです。

 

「いじめ」と「けんか」という言葉の境界線についてもそうです。

ここまでは「けんか」でここからは「いじめ」みたいな感じです。

感情ってそんな線引きが出来るような単純なものではないです。

「けんか」も「いじめ」も一人ではできない行為です。

だから当事者同士で話し合い,相手を思いやり,お互いが寛容になる以外に解決方法は無いと思います。

感情の問題なので,解決が難しいときは,時間を置いたり,距離を離したり,することも寛容です。

大切なことは双方の安心だからです。

それだけです。

 

私達は言葉を持ったことで,その言葉に囚われてしまう生き物になりました。

でもその言葉は人が作ったものですから,人が作り直すことも出来るはずです。

だから,言葉を疑いましょう。

そして,もっと心の深いところにある感覚を大切にしましょう。

そうすれば,きっと人は自然に近づき,優しくなれると思うのです。