サッカーの原点を思い出す自主練
昨晩は素晴らしい学びがありました。
奈良クラブユースの活動は火曜日と木曜日,金曜日が練習日で土曜日と日曜日が試合になります。
今週は水曜日に県3部リーグがあったこととで試合に召集されていない選手も練習をしました。
だから木曜日はオフ日に変更になりました。
しかし選手の望みもあり自主練用に時間限定でグランドを開放してもらえました。
長男,GKのAはグランドにワクワクして向かいました。
長男とAは地元ジュニアチーム時代のチームメイトです。
アメージングアカデミーでもチームメイトだったので,Aとはジュニア,ジュニアユース,ユースとずっと一緒のチームで過ごしている腐れ縁です。
ちなみにAの父親と私は高校の同級生なので腐りすぎている縁です。
そんなこともあって長男とAは暇さえあれば私の実家の庭でずっとサッカーをしていました。
長男がシュートしてAが止める。
これの繰り返し。
昨晩は途中から雨が強く降り出し全身がずぶぬれになるほどでした。
長男とAは雨が降るグランドで約1時間,ずっとシュートとセービングを繰り返していました。
「よっしゃ!」
「くそ!」
「ああ!
「もう一本!」
どちらも感情を解放して,全身で喜びやくやしさを表現しています。
まるで小学生の頃のように。
ただボールとゴールと仲間がいればそれで良かったあの頃のように。
どんなにエコノメソッドを学んでも,どんなに原理原則を理解しても,どんなに戦術的になっても,結局のところサッカーはゴールを楽しみ,勝敗を楽しむ,それだけなんだと思います。
絶え間なく降り続く雨の中,無邪気にボールを蹴る2人を観ながら,子どもたちに未来を求めすぎていたと少しだけ自分を戒めました。
人として成長する自主練
気持ちよく1日を終えられると思っていたのですが人生はなかなかドラマチックです。
アパートに到着して車から降りようとしたとき長男が,
「ボールは?」
と呟きました。
長男のボールが車の中にありません。
時間は21時45分。
私は仕方なく一人でグランドに戻りました。
車を停めていた場所を探しました。
ありません。
真っ暗なグランドに行きました。
ありません。
どちらも2回行きました。
ありません。
アパートに戻ったのは22時45分。
長男には,
「これは学びだ。普段から整理整頓ができていないからサッカーの神様が成長の機会をくれたんだ。今後の生活に生かすしかない。」
と伝えました。
長男はふて寝しました。
翌朝,長男には,
「出来ることを全力でやるぞ。朝からもう1回探しに行く。ついてこい。」
と言いました。
昨晩のルートで探しました。
ありません。
グランドの事務所の方にも尋ねました。
ありません。
どこで私たちがミスを犯したのかがわからないまま諦めかけました。
アパートに戻り,長男に1本の連絡が入りました。
自主練に参加していた先輩がグランドに忘れていたボールを預かっていてくれたのです。
私たちのミスはグランドにボールを忘れてしまったことと、先輩とのコミュニケーション不足で直接連絡できる関係性がなかったことです。
ボールを忘れた理由は以下の通りです。
長男はこの日に練習があった二男のボールを持っていました。
Aは自分のボールを持っていました。
私は予備のボールを持っていました。
二男は自分のボールを長男が持っていてくれたので安心しました。
では長男のボールは誰が?
ここです。
長男は,自分が二男のボールを持ってあげているのだから自分のボールは二男が持つものだと決めつけていたのでした。
でも二男はそうではなかったのです。
これは単純な責任感の問題なのですが,話をややこしくしたのは,好意でボールを預かってくれた先輩と長男のつながりの薄さなのです。
長男はつながりがある自主練に参加した先輩にボールの行方を聞いていたのですが,その先輩から「無かったような気がするなあ。」という言葉が返って来ていたので,ボールが忽然と消えてしまった状態になってしまったのです。
その先輩が他の仲間に聞いてくれた結果,長男のボールを預かってくれた先輩の存在が分かりました。
コミュニケーション不足がまねいたトラブルです。
「日常的な整理整頓の大切さ」
「仲間とつながる大切さ」
自主練に参加したことでサッカーの楽しさを満喫できただけでなく,自らの生活まで見つめ直す機会になりました。
まさに「自分を高める主体的な練習」ですね(‘◇’)ゞ