私のきっかけ
今日は色々と悩み,もやもやとした1日でした。
でも思い切ってそんな自分の思いを相談し,話を聞いてもらったことで,自分の気持ちを整理することができました。
自分に矢印を向けることの大切さは知っています。
でも自分から自分に矢印を向けることは案外難しいです。
そんなときに「きっかけ」をくれる存在があれば嬉しいものです。
それが人であることもあれば,体験であることもあります。
話を聞いてもらえたとか指摘してもらえたとか。
きれいな景色を観たとかがむしゃらに走ってみたとか。
今日はそんなことを実感した1日でした。
Aのきっかけ
ふと思い出したのはAのことです。
Aは小学校4年生でした。
Aは低学年の頃から落ち着きがなく,攻撃的で,強がりで,注意されたら怒って学校中を走り回っているような子どもでした。
生活背景も複雑でした。
担任になった私はAとガチンコでぶつかり合う日々を送っていました。
秋ごろ,Aの作文で授業をすることになりました。
その作文はAの家で一緒に書きました。
Aはドラえもんを観ながら書こうとするので,なかなか作文が進みません。
ドラえもんを消すと怒ってくるし,お母さんは牡蠣を焼いていて美味しそうな匂いがするし,なかなか面白い状況で作文は完成したのでした。
Aは友だちとのトラブルで悔しい思いをしたことを作文に書いたのですが,Aは強がりなので弱い自分を仲間には見せてきていませんでしたから,Aの本当の姿を知ってもらえる素敵な内容になりました。
ところが授業が始まる直前になってAは行方をくらましました。
ずっとずっと我慢していたのでしょう。
確かにこの日のAはずっと大人しかったです。
ぎりぎりになって我慢できなくなったのですね。
とはいえ私は主役がいなくなってしまったので悩みました。
作文は手元にあるのでAがいなくても授業は進めることはできます。
でもAが自分で作文を読むからこそ彼の思いが伝わるのです。
ついに授業が始まるチャイムが鳴りました。
私は代読を覚悟しました。
すると探しに行ってくれていた3年生の時の担任の先生が,Aを連れてきてくれたのです。
これまでのAからすると意地になって戻ってこないと思っていたので私は驚きました。
授業後にどういう経緯で戻ってくることを了承したのかと元担任の先生に伺うと「先生が待ってるぞ」と言っただけだと言うのです。
実は,Aは私に申し訳ないと言う気持ちを持っていたのでした。
なんとか授業が始まりました。
でもAは作文を読みませんでした。
私が代読している声をずっと聞いていました。
仲間からの質疑応答にも答えませんでした。
感想の交流でも何も言いませんでした。
でも仲間の言葉にはずっと耳をかたむけて聞いていました。
Aなりの照れ隠しだったのだと思います。
そんなAに気づいていたクラスの仲間達は,Aの想いにに寄り添って自分のことを語るのでした。
この授業をするにあたって,作文を書いてみんなの前で発表すると言う大役を引き受けたAに対してお母さんからの手紙をもらってありました。
そのことはAに内緒でした。
だからお母さんからの手紙があることを発表するとAは驚いていました。
私がその手紙を読み終えるとクラスの仲間からは拍手が起こりました。
Aはじっと聞いていました。
私はそっと手紙をAに渡しました。
するとAはおもむろに鉛筆を持って,手紙が入っている封筒に絵を描き始めました。
それは「鍵穴」の絵でした。
Aはこの封筒に鍵をかけて自分以外の誰にも見せない宝物にしたのです。
私やクラスの仲間達はAの可愛らしい姿にほっこりしたのでした。
この授業以来,Aは明らかに以前のような攻撃的な態度ではなくなり,強がることはあっても,決して投げやりにはなりませんでした。
それはきっと,自分のことを受け止めてくれる仲間がいることを知ったことと,こんな自分を丸ごと愛してくれるお母さんの存在の大きさに気づけたからです。
これがAが自分に矢印を向けることができた「きっかけ」です。
きっかけがあれば成長できる
私は5年生でもAを担任しましたが,4年生の時よりも仲間との関係がずっと良好になり,得意の絵で学級活動で貢献したり,苦手の学校行事でも動かずに我慢できるようになりました。
「きっかけ」さえあれば人はいつでも成長できるのです。
今日の私はふとAのことを思い出し,そんな「きっかけ」を与えられる存在にならなければいけないなと思いました。