エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ちょっといい学校話

色あせない青春

私はずっと公立小学校の教諭でしたので中学校の体育祭には縁がありませんでした。

小規模校で小中合同の運動会を言うのはありましたが,中学校の体育祭をじっくりと観る機会はほとんどありませんでした。

それが保護者になって実現しました。

でも未だにたったの2回だけです。

1回目は長男が山梨県で寮生活を始めた中学校1年生時の体育祭。

2回目は二男が奈良県に転校してきて初の中学校2年政治の体育祭。

地元の三重県では1回も観れていません。

こんな生活をしていますので仕方ないのかもしれませんがまさかです(*_*)

コロナ禍になり長男の2年生と3年生,二男の1年生は観ることができませんでした。

感染症対策のために仕方がないことでしたが,見逃したくなかった子どもの成長の瞬間を目の当たりにすることができませんでした。

きっと全国の保護者の皆さんも残念に思っていることでしょう。

子ども達はもっとたくさんの制限の中での生活を強いられています。

長男と二男は修学旅行が県内に変更になってしまいました。

休校も経験しました。

きっと鬱積するものがあると思います。

もしかしたらもう諦めていたり慣れていたりするのかもしれません。

でもです。

そんな時代の子ども達であっても,やっぱり「青春は色あせることはない」という気持ちにさせられたのが二男の体育祭でした。

秋晴れのグランド。

トラックを囲むテント。

おそろいの体操服に色とりどりの鉢巻きをする中学生。

様々な髪色の保護者。

スピーカーから聞こえるマイク越しの声。

砂埃。

白線。

全てが学校そのもので久しぶりの感覚でした。

きっとケンカしていたり,それほど仲が良くなかったり,色々と事情を抱えている生徒がたくさんいると思います。

それでも,同年代の仲間が同じ服装でグランドで並んだり,走ったり,叫んだりする様子は爽やかそのものでした。

男だからとか女だからとかは関係なく,土のグランドを全力で走り,全力でこけて,仲間に慰められる。

はずかしさなんてどこにもない。

そんなこと言っている余裕もない。

体育祭の勝敗に一喜一憂する姿には打算的な損も得も利益もありません。

あるのは若者にしかない一途さのみ。

私はそんな彼らを眺めながら,いつかここから巣立って,社会にもまれていく彼らの幸せを願ってしまうのでした。

先生として過ごした25年間を思い出しながら…。

さて二男は私から遠くの場所で大縄跳びを跳び,スウェーデンリレーとやらのアンカーで400mを走っていました。

大縄跳びは学年で優勝。

リレーは2位。

得点は学年1位。

上出来すぎる奈良デビューでした。

行事を通して思い出を共有できたので,きっと仲間との距離もさらに縮まったと思います。

ただし,頑張りすぎて気分が悪くなったのか,救護席にいて閉会式に出ていなかったのはさすがでした。

いちいち何かと記念を作ってくる二男です(*_*)

帰ってきた二男は,

「気分が悪くなって吐いた。でもリレーメンバーとはグータッチするぐらい仲良くなった。先生も喜んでいた。」

と弁当を出しながら嬉しそうに話してくれました。

吐いたのに弁当は空っぽでした。

すがやな(>_<)