Aさんとの出会いと物語の始まり
小学校3年生を担当しました。
この学年は前年に学級経営が落ち着かず,1年間を不安定に過ごしていました。
私が担当したばかりの頃はその延長線上でトラブルの連続でした。
でもトラブルが起きるには理由があるので,その理由がわかるまではじっくりと当事者だけでなく学級で話し合いを続けていきました。
1人のことを自分のこととして学級で考える。
子ども達もあまりにしつこい私の姿勢に諦めたのでしょうね。
徐々にトラブルを他人事にはしなくなりました。
保護者の方とも何度も話し合いました。
すれ違いもありましたが子ども達の成長を感じてもらえるようになりました。
保護者の方も昨年度の不安がありますので私に対して警戒心を持って見えたのだと思います。
その気持ちはよくわかります。
各ご家庭でもしつけや教育は行いますが,子どもにとって学校の存在は大きいですし,学校で起きていることに親は口出ししにくいものです。
これは育成年代のサッカーでも同じで,指導者に口出ししてはいけないという風潮があり,どんなに子どもが辛そうにしていても親はぐっとこらえて我慢することになります。
感情が高ぶる前にオープンマインドで地道な交流をしていくことは,結果的には子どもの成長に直結する大事な取り組みだと思います。
さて,徐々にですが落ち着いてきた学級の中に気になる子どもが1人いました。
その子(以後Aさん)は話しかけても全く話しません。
がちゃがちゃとうるさい子どもが多いギャングエイジの学級の中でじっとしています。
表情はあるのですが言葉が出てきません。
Aさんの保護者の方と話をすると,家ではよくしゃべるのだそうですが,学校ではなぜかしゃべらないのだそうです。
お姉ちゃんが1つ上にいるので聞いてみると,お姉ちゃんも理由がわからないというのです。
Aさんはお母さんと学校で話すという約束を何度もしているのですが,いざとなると話せないということを繰り返していました。
話さないでいたらきっかけが無くなったと言うのです。
当然,私とも話しません。
もうちょっと…と言うとことまで行くのですが,やっぱり話せません。
仲間とも話しません。
応援してくれるのですがもじもじしながらも話せません。
そうやって1年が過ぎてしまいました。
きっかけは不意にやってくる
この学年が5年生になった時に,私がもう一度担当することになりました。
Aさんも担当しました。
Aさんのお母さんと今年こそはと話し合いました。
でもやっぱり話せませんでした。
話が出来る友だちが少しだけ出来ていたので確実にAさんの心は緩んできていました。
きっかけは不意にやってくるものです。
私は用があってAさんの家に電話をしました。
すると「もしもし。」と電話口で可愛らしい弾んだ声が聞こえてきました。。
私はもしかしてと思い「Aさん?」と尋ねました。
するとしまったというような感じでAさんは「はい…。」と答えたのでした。
私は2年がかりでAさんと話すことに成功しました。
それもたまたまで。
それからのAさんは遠慮なく私には話してくれるようになりました。
当然,みんなの前ではまだ話せないのですが,それでもAさんは気持ちが楽になったような柔らかい表情をするようになりました。
Aさんの必然の勇気と卒業
私は6年生も担当することになりました。
Aさんは話が出来る友だちが増えていました。
授業では話せないのですが休み時間は少しだけ話せていました。
6年生の様々な行事を経て,いよいよ卒業式のみになりました。
この学年は私の強いこだわりでたくさんの話し合いをしてきていました。
だから単純な好き嫌いではなく,小さなつながりが深い仲間がたくさんいました。
当然,Aさんも仲間とたくさんつながっていました。
後はAさんの勇気だけです。
それも私の時のような偶然ではなくて必然の勇気です。
私は卒業式実行委員会との話し合いの中で,卒業証書授与の際に自分のことを語る恒例のスピーチに英語のスピーチの追加を提案しました。
子ども達のプレッシャーは2倍になるのですが,3年間も担当した子ども達ですので,きっと乗り越えると思っていました。
実行委員がALTに協力を依頼して,子ども達の原稿を英語訳してもらいました。
ALTがこだわってしまったのでスピーチはより長くなってしまったのは誤算でしたが,やると決めた以上もう後戻りはできません。
子ども達は練習の時からずっとぶつぶつとスピーチの練習をしていました。
私はAさんがみんなの前で話すラストチャンスだと思っていました。
Aさんが必然の勇気を出す。
きっとAさんはできる。
そう信じていました。
そして卒業式当日。
Aさんの名前を私が呼名しました。
Aさんは小さい声で照れくさそうに
「はい。」
と答えました。
私はAさんを見て小さくうなずきました。
Aさんは校長先生の前に立ち,小さな声で日本語と英語のスピーチをしました。
これまでAさんが話してこなかったことを知っている先生,仲間,保護者にとっては,どんなに小さな声であっても心に響く特別な声でした。
声が大きいとか小さいとか,指導上では色々と気になることはあるでしょうが,Aさんと共に歩んできた私や仲間,そして保護者にとってはそんなことどうでも良かったのです。
Aさんがみんなの前で話した。
それだけでみんなが幸せになりました。
ようやくAさんもこだわり続けた小学生の自分から卒業できたのでした。
学校は筋書きの無い物語がある場所
学校にはこんな小さな物語がたくさんあります。
先生と子どもと保護者。
そこに地域がつながって筋書きのない物語が日々綴られているのです。