未熟な親1年目
誰でも1年目があるように,親にも1年目があります。
だから,親だから何でもできるということはなく,未熟な親が子どもと共に成長していくことで徐々に親らしくなっていくんだと思います。あくまで今だから言えますが・・・。
私は25年間小学校の先生でした。教師1年目は・・・・。
思い出すだけで申し訳なさ過ぎて今はやめときますが,私が出会った子どもや保護者,同僚の先生方に育てていただいたことは間違いありません。
では私の親1年目はどうだったでしょうか。
親の気持ちを親になって知る
長男が生まれたとき,私は先生の仕事で1番辛く厳しい時でした。
原因は私の指導力不足が原因なのですが,1番の問題は親でもない私(先生)が親(保護者)に親としてあるべき姿を求めすぎてしまったことでした。
自分が親になるまでその自分の問題に気づかないのですから私はダメな先生です。本当に当時の保護者の皆様にはご迷惑をかけてしまいました。
長男は初の内孫でしたので,家族は大喜びでした。とてもとてもかわいがられました。少しだけ親孝行ができた気分でした。
しかし,子育ては想像以上に大変でした。
おむつ替えすら楽しい日々
長男はよく泣きました。疲れている連れ合いを助けるために,私がよく抱っこをしました。
夜中に車に乗せてドライブをしたこともありました。泣き叫ぶ長男をなだめるためにありとあらゆることをしました。
でも,毎日が今まで感じたことが無いほど楽しい日々でした。あるあるですが,早く仕事から家に帰りたくて仕方がなかったですし,待ち受け画面は当然長男でした。
やがて二男が生まれ,そして三男が生まれました。
3人とも大きな病気にかかることも事故にあうこともなく,すくすくと健康に育ってくれたことは心から有難いことです。
このように親としても経験を重ね,おむつの交換はお手の物になりました。三男のおむつがとれたときは,「もうおむつを替えることが無いのか」と寂しささえ感じました。
徐々に理屈っぽい子育てへ
徐々に親である自分に慣れてきた私は,「無償の愛」から,我が子に「自分が求める子ども像」を期待するようになっていきました。先生である自分と親である自分が混同し始めたのです。
今でも子どもたちには伝えていることがあります。
それは,
「自分が言ったことは守る。」
です。
言ったことを「守ろうとして守れない」のは仕方がないのですが,「守ろうとしない」時は叱りました。責任感というのか自主性というか。
「自分の人生を自分で切り開いてほしい。」
ただそれだけなのですが,子どもにとってはどうだったのでしょう。そんな理屈よりも愛がほしいだけなのではないでしょうか。
しかし,こだわりが強い私のこの考え方こそが,少年へと成長していく子どもたちに対しての子育てを徐々に難しくさせていくことになるのでした。