そもそも私は褒められるような人格者でもなければ経歴もありません。
嫉妬深いし,面倒くさがり屋だし,臆病だし,妙にプライドが高いし,挙げ出したらキリがないくらい劣等感の塊です。
そんな自分が約50年も生きてこられたのは,きっと私の周りの方々が温かく見守っていてくれたから何だと思います。
高校時代はサッカーが好きなだけのオタクで人づきあいも得意じゃない。
大学時代はふらふらと流されるだけで芯が無いいい加減な人間。
教員になっても「なぜ自分が先生になったのか?」と自問自答する日々。
私生活でもサッカー以外は適当で,自分のキャリアアップのために自己研鑽することはありません。
そのツケが今です。
あれほど悩んでいた教師を辞めて,主夫になったとたんに,自分が何の力もない空っぽであることを突き付けられました。
確かに主夫業はこなしています。
でもこなしているだけです。
家族のために経済的に支えることは未だできていませんし,どうやって支えていって良いのかもわかりません。
また先生に戻ることも出来るでしょう。
でも結局はあの頃の悩みに戻るだけです。
そんな感じで気分が落ちている私に二男が,
「パパの好きなようにしたらいいんじゃないの。」
と言いました。
三男は,
「パパがやりたいことをやって何がいかんの?」
と言ったそうです。
私はいつも偉そうに息子たちに説教をしています。
でも本当の自分はすごく情けない人間なんです。
だから「こんな自分みたいになるな」という思いで説教をしていたのです。
それでも息子達はそう言ってくれました。
不思議ですね。
よく親の背中を観て子は育つと言いますが,私はとても見せられる背中がありません。
それでも子どもは育っていくんですね。
私には自分の人生の岐路と呼べる出来事がありました。
それはちょうど長男が生まれる少し前です。
私は30代になったばかりの頃です。
仕事の関係でたくさんの方に迷惑をかけてしまいました。
家族を心配させました。
その時はとてもとても苦しく,毎日が生きた気持ちではありませんでした。
それでも私は「自分だけが悪くない」と思って現実から逃げていました。
そんなときに長男が生まれたのです。
そして気づきました。
「親心」というものを。
それまでの私は「保護者のあるべき姿」を「全ての保護者」に求めていました。
きっとそれは保護者からしたら先生から押し付けられた「正論」で,かなりの「傲慢」だったのです。
生まれたての長男を見て,小さな指を触って,私はようやくそのことが分かったのでした。
私はこれまでの保護者に対して全力で感謝しました。
偉そうに正論ばかりを語っては要求ばかりする私を,いつも温かく見守り支えてくれていたのはその保護者の皆様だったのです。
私は少しだけ変わることが出来ました。
「だれかのために」
「相手の立場に立って」
「親子の関係は理屈じゃない」
このように考えられるようになりました。
きっとこれまでの私は,
「自分のために」
「自分の立場を押し付けて」
「子育ては理屈」
だったような気がします。
だから上手くいかなかったのです。
現在の私は「丁寧」「一生懸命」「思いやり」という3つを大切にしています。
自分自身が何事にも丁寧で一生懸命取り組み,相手に寄り添いながら思いやりのある行動をする。
それが自分が出来る精一杯のことなんだと思っています。
私がこれからどのように生きるのか決める鍵は,きっとこれまでの人生で学んできたことの中にあるのでしょうね。
もしかしたら今は2回目の岐路なのかもしれません。