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ちょっといい学校話

人が歴史を作る

昨晩は二男と歴史の勉強を一緒にしました。

範囲は「明治維新後の日本」です。

二男はテストで点数をとることを勉強の目的にしているので,用語を覚えることで精一杯です。

それでもやる気があるのなら良いのですが,そもそも歴史の勉強って何を目的にしているのでしょうか。

 

学習指導要領を見てみましょう。

〔歴史的分野〕
1 目標

(1) 歴史的事象に対する関心を高め,我が国の歴史の大きな流れを,世界の歴史を背景に,各時代の特色を踏まえて理解させ,それを通して我が国の伝統と文化の特色を広い視野に立って考えさせるとともに,我が国の歴史に対する愛情を深め,国民としての自覚を育てる。

(2) 国家・社会及び文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を,その時代や地域との関連において理解させ,尊重する態度を育てる。

(3) 歴史に見られる国際関係や文化交流のあらましを理解させ,我が国と諸外国の歴史や文化が相互に深くかかわっていることを考えさせるとともに,他民族の文化,生活などに関心をもたせ,国際協調の精神を養う。

(4) 身近な地域の歴史や具体的な事象の学習を通して歴史に対する興味・関心を高め,様々な資料を活用して歴史的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる。

 

以上です。

文末に太字でアンダーラインを引きました。

ここに注目すると,少なくともテストのために勉強しているわけではないことが分かります。

それだけに二男の思考はもったいない。

ぜひ歴史分野を通して,愛情や自覚,尊重,国際協調、多面的・多角的な考察の力を育ててほしいものです。

私は多面的・多角的に考察する力が歴史には必要だと思っています。

立場が変われば歴史の考察も変わります。

それを偏った立場で学んでしまうと歴史が権力的になり過ぎたり,自虐的になりすぎたりしてしまいます。

過去は変えられません。

つまり歴史は変わりません。

現代の人が歴史を否定したところでそれは無意味です。

否定するのではなく歴史から学ぶのです。

二男には,

「明治維新の頃はおじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゃんの頃の出来事や。どうや。自分とは関係ない話ではなくなったやろ。」

と伝えました。

「お前は自分のご先祖さんが精一杯生きた時代を悪く言うのか?」

そう言うと二男は,

「いや。言わん。」

と即答しました。

つまり過去に生きた人が歴史を繋いできたのです。

その人の中には自分のご先祖様が含まれているのです。

これで二男にとって明治維新は決して遠い世界の物語ではなくなりました。

 

日本の受験制度ではどうしても駆け足で授業は進みます。

用語を覚えないとテストで点数をとることが出来ません。

でもその用語にはどんな価値があるのかは学んでいませんから,せっかく覚えたとしても記憶からあっという間に消えてしまいます。

非常に残念です。

二男は

「板垣退助の民選議院設立建白書って覚えるの難しいよな。」

と言っていました。

確かにそうなのですが,板垣退助がなぜ民権議院設立建白書を出したのかを自分のこととして想像できれば,決して覚えることは難しくありません。

民選議院設立建白書とは何か?

勉強が苦手な二男は漢字ばかりだから勝手に難しいと決めつけています。

でもよく漢字を見てください。

民から選んだ議院を設立したいという建白書なんです。

これだけでもう十分板垣退助の想いは分かりますよね。

それも板垣退助はあの坂本龍馬が脱藩した土佐藩出身であり,近代国家の設立を目指して活動した中心人物です。

明治政府の帝国議会は武士だけが政治を行っていた江戸幕府の頃からは考えられない素晴らしい仕組みでした。

でもまだまだ力を持った一部の国民しか政治は関われませんでした。

だからこそ板垣退助は「もっと国民の声が届く議会にしなければいけない」と立ち上がったのです。

自由民権運動の先駆けです。

この話をすると二男も「やっぱり板垣退助は土佐藩やからかなあ。」なんて言っています。

でもそれでいいのです。

自分の物語の一部とし歴史を学ぶことが出来たら,国民としての自覚は育っているのです。

二男が勉強をすることで自立に向けてたくましく育ってくれることが親としての望みです。

二男に板垣退助のようになって欲しいとは思っていませんが,このように板垣退助の想いを自分のこととして想像することができれば,ただテストに向けた勉強をしただけで終わるのではなく,板垣退助の影響を受けた人生になることは間違いありません。

 

ちなみに私は小学校教員養成課程社会科卒業ですので一応社会科の教師です。

ずっと小学校教員だったので専門用語は9割は消えてしまいました。

でもやっぱり社会科の面白さを学んでほしいという願いはあります。

社会科は人から学ぶ教科です。

用語ではないのです。

そのことを二男に教えることが出来て,今日はちょっとうれしい1日になりました。