ある方がブログで,ご子息がいじめにあっているのではないかと心配されていました。
「いじめ」はとてもデリケートな問題ですが,生命にかかわる問題でもありますので,私なりにこれまでの経験をもとに綴ってみます。
いじめ防止対策推進法の施行に伴って,平成25年度からは以下の通り「いじめ」を定義しています。
「いじめ」とは,「児童生徒に対して,当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい
る等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な
影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって,当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。
なお,起こった場所は学校の内外を問わない。
「いじめ」の中には,犯罪行為として取り扱われるべきと認められ,早期に警察
に相談することが重要なものや,児童生徒の生命,身体又は財産に重大な被害が生じるような,直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。
これらについては,教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで,早期に警察に相談・通報の上,警察と連携した対応を取ることが必要である。
当然「いじめ」の問題は平成25年以降もありましたから,定義も時代の流れの中で変わってきています。
ポイントは,
当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの
ここです。
つまり,されている本人が苦痛を感じていればそれは「いじめ」なのです。
さらには,
児童生徒の生命,身体又は財産に重大な被害が生じるような,直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる
とあるように,児童生徒の生命に重大な被害が生じるものは警察への通報することもあるのです。
「いじめ」が難しい問題になりやすいのは,児童生徒間の人的関係だからです。
その関係を壊したくないという心理が,発見を遅らせたり隠したりしてしまうのです。
この心理は大人もよく分かると思います。
それは過去の経験だけではありません。
大人の世界でも「いじめ」が存在するからです。
私も職場での「いじめ」を目撃しましたがそれはそれは酷いものでした。
そのことを管理職に指摘しましたが今度は矛先が私に向きました。
私は負けませんでしたが,残念な時間を過ごすことになってしまいました。
では私が小学校教諭時代に経験した出来事をいくつか紹介します。
私はある6年生の女子と放課後,教室で話していました。
するとその子が時計を見てソワソワしだしたのです。
私が
「どうしたの?」
と聞くと
「そろそろ家に帰って部屋に入らないかん。」
と言ったのです。
私は
「部屋ってどこの部屋?」
と聞きました。
その子は
「チャットルーム」
と答えました。
どういうことかというと,同じクラスの女子のグループでとあるチャットルームに入っているのだそうです。
そこに決まった時間に入らないと面倒なことになるらしいのです。
私が
「忘れとったって言えばいいやん。」
と言うと
「先生はこのめんどくささが分からんのさ。先生は私たちと今年だけの付き合いやけど,私たちの関係は中学校まで続くんやで。ややこしくなるのは嫌や。」
とその子が目を吊り上げて答えました。
まさに人的関係です。
おそらくそのチャットルームでは,私も含めた誰かのうわさ話で盛り上がっているのでしょうね。
ときには酷いことも言っているのかもしれません。
そこに自分がいなかったら,自分のことを言われてしまうかもしれない恐怖。
そして勇気を出してそこから抜け出しても中学校卒業まで関係が切れないという現実。
だからその子はグループの中で自分の居場所を確保し続ける。
だから「いじめ」が発覚しずらいのです。
この学年は3年間担当しました。
低学年から落ち着きがない学年だったので,少人数の加配を活用して学級数を増やし,1クラスの人数を減らしていました。
丁寧に向き合ってきたつもりです。
それでもやっぱり「いじめ」は起きるのです。
ある男の子がリーダー格のクラスを担当しました。
その子は地域のスポ少に所属していました。
負けることを極端に嫌い,自分が負けそうになると不平不満を言ったり,陰でコソコソと文句を言ったりする子でした。
それは友達相手だけでなく,教師に対しても同じでした。
クラスの男子はその子を怒らせると怖いので,何があってもその子に従っていました。
スポ少の仲間は同好のスポーツをしているということで多少は我慢できましたが,その他の子ども達は学校だけの関係なので,その子への指導を担任に求めてきたのです。
自分が不満を持っていると悟られることなく人的関係を改善する。
それはかなり難しいものでした。
実は親も子どもと同じ人間関係でした。
その子の親に苦情を言おうものなら,倍返しのようになってしまうのだそうです。
だから担任にお願いするしかないということになるのです。
先ほどの女子と同じで,子どもだけでなく親の関係も中学校卒業まで続きます。
誰かが納得すれば,誰かが不満を持つ。
よっぽどドラマチックなことが起きない限り解決はできません。
実際,このクラスは「ほとんどの男子対私」という構図になりました。
私を攻撃することで一致団結したのです。
それについていけない子どもは学校に来ることすら難しくなってしまいました。
ちなみに対ほとんどの男子ということは対ほとんどの保護者ということです。
私がどんなに訴えても,どんなに様々な実践をしても,もはやどうにもなりませんでした。
というか私の心がかさぶただらけになってしまいました。
時がたって,
「先生,あの時はすみませんでした。」
と言ってくれる保護者がみえました。
当時は誰もが自分を守ることで必死でしたから,そう言ってもらえただけでも力不足の私には有難い言葉です。
ただし出来れば当時にその言葉を言って欲しかったというのが本音です。
2つの事例から分かっていただけるように,「いじめ」はそう簡単に解決はできません。
何度も言います。
その地域に住んでいる以上,人的関係は切れないからです。
私がまたまた3年間担当した学年がありました。
その学年も低学年の頃に落ち着きを無くしてしまい学級が荒れました。
私はとにかく子ども達と一緒に話し合いを続けました。
どんな些細なことでもクラスの問題としてみんなで話し合いました。
保護者の方にも理解をしてもらうために,家庭訪問で説明したり,学級通信で取り組んでいることを子どもの様子が分かるように伝えたりしていました。
そして3年目。
卒業を控えていた学年集会でのことです。
ある子が自分の6年間を振り返った時に,
「昔は本当に黒歴史だった。でも…」
と言い出しました。
その子は感情的になりやすく,暴れたり,逃走したりして,まったく授業にならないことが何度もありました。
その都度,みんなでその子の想いに寄り添って,粘り強く話し合ってきました。
保護者の方も当初は学校の対応に不満を持っていましたが,何度も家庭訪問をして子ども達のことを伝え続けました。
その子が「でも…」の先を言おうとしているときです。
横から別の子が
「そんなん,俺らのおかげやろ。」
と笑顔でその子をつっこんだのでした。
他の子も
「そうだ。そうだ。」
と口々に笑いながら言いました。
それを聞いたその子は嬉しそうに
「ぼくはみんなのおかげで楽しく卒業できます。」
と語ったのでした。
自然と拍手が起きました。
誰もがその子といっしょに過ごした波乱万丈な懐かしい時間を思い出しているようでした。
「いじめ」の解決はかなり難しいですが決して不可能ではありません。
そう,人的関係が良好になればいいのです。
そのために必要なことは日々の対話しかないと私は思います。
子ども達と丁寧に話し,保護者と丁寧に話す。
これを丁寧に粘り強く続けていく。
どんなに小さくても心に繋がりが出来ていれば,それなりに譲り合えるものです。
「いじめ」が起きてからとか,発見してから,ということではなく,最初から「いじめ」が起きにくい人的関係作りが大切だということですね。
ご子息が「いじめ」で悩んでいるように感じたならぜひゆっくり話し合ってください。
理由に寄り添ってあげてください。
先生ともコーヒーでも飲みながら話し合ってください。
保護者同士もスイーツでも食べながら話し合ってください。
きっと糸口は見えるはずです。
人的関係は結局人の繋がりなのですから。