よく親が表に出てこない子どもは成功するとか,掃除や手伝いを進んでやる子は人と違うとか言いますが,そんなのはステレオタイプであって,それをしていたら必ずうまくいくと言うのは嘘だと思います。
どちらかと言えばわざとそうやってアピールする親や子どものほうが不自然ではないでしょうか。
世の中には子育て本や指導書がありますが参考にはできても鵜呑みにはできません。
家族構成も食べるものの,学校も,友だちも,吸っている空気も,何もかもが全くと言うことはあり得ません。
だから,その通りに行くはずはないのです。
ではどうして人はステレオタイプにすがりたくなるのでしょうか。
それはきっと自信が無いからです。
だって,そうでしょう。
相手は生き物なのですから。
自分の思い通りになるはずがありません。
だから子育てや指導に不安になるとどうしても成功例を頼りたくなりますし,隣の芝生が青く見えてしまうのです。
私なんてまさにそれで,こんな変な生き方をしていながら,本当にこの子育てで良かったのかとか,この指導で間違いないのかとか,色々と悩んでつい自分を否定してしまいます。
そんなとき,いつも助けてくれるのが息子達です。
息子達は,なんだかんだと文句は言ったり反抗したりしますが,いつも私と一緒に歩んでくれます。
奈良のアパートで3人でご飯を食べながら映画を観ていたり,ご褒美で揚げたポテトをつまみながらドラマを観ていたりすると,不意に幸せだなって実感します。
サッカーも元気にプレイしてくれます。
高校生と中学生の息子が親父と川の字になって寝室で雑魚寝しているなんて一般的な家庭ではそうそうないでしょう。
そんな息子達も少しずつ親から離れるときが近づいてきています。
長男は職業としてサッカーをしていくかどうかを選択する時期が近づき,何かと悩みが多くなりだしました。
子どもの頃は,FCバルセロナでプレーしたいとか,ワールドカップで優勝したいとか素直に言えるのですが,サッカーを続けていけばそれがどんなに困難なことか分かってきます。
それでも自分がたどり着きたい未来に1番近い場所と思って奈良に来ました。
正直,長男が思い描いたようには進んでいません。
一方,小さい頃に一緒にプレーした仲間や対戦した相手は,強豪高校やJ下部に進んで華やかで強度の高い試合を繰り返しています。
時にはメディアにも取り上げられたりします。
「いったい自分は何をやっているんだろう…。」
そんな気持ちになって無性に悔しくなったり,情けなくなったりするそうです。
親として私に何が出来るのでしょうか。
話を聞くこと?
応援すること?
ご飯を作ること?
一緒にボールを蹴ってあげること?
送迎すること?
所詮その程度です。
結局は私もそうだったように,自分で決めて,自分で行動し,自分で受け止めるしかないのだと思います。
長男は,大人になるというか男になるための入口なのかもしれません。
悔しさや情けなさを受け入れて,それでも自分が選んだ道を信じて突き進む。
その道の先にある世界が幸せかどうかは,自分で歩かなければわからないと言うことですね。
昨日は長男とミスターチルドレンの「終わりなき旅」を歌詞を見ながら聴きました。
この曲はフランクフルトで今も現役でプレーする長谷部誠選手の著書「心を整える」で試合前に聞く曲だと紹介していました。
私も好きな曲です。
「高ければ高い壁の方が 登った時 気持ちいいもんな」
と言う歌詞が有名ですが今の長男には,
「息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ ただ未来だけを見据えながら 放つ願い」
と言う歌詞の方が合うのかもしれません。
若いとはそういうことです。
他人の栄光や評価なんて知ったこっちゃない。
未来だけを信じて必死になって駆け抜けたらいい。
それが青春てやつです。
どうしても振り返りたくなったら気付くでしょう。
自分が駆け抜けた道には自分の足跡しかないことを。
親として今の長男と向き合うということは,きっと長男と離れる準備をするということですね。
ちょっと切ないです。
まあそろそろ仕方ないか。