二男が中間テストに臨んでいます。
普段から積み上げの無い二男には苦しいテスト勉強になっています。
「だから普段から言ってたのに。」
という私の嫌味に反応する余裕もありません。
それもそのはずで,二男はついにスマホを解約されるピンチだからです。
二男とは奈良に来たときからの約束がありました。
それは全教科平均点を超える事,もしくは5教科で300点以上とる事です。
あくまで「人並みの努力をしましょう。」という親心なのですが,二男は一回もこの約束を達成していません。
だから中学校3年生になって最初のテストで制裁をくらわすことにしたわけです。
私からしたら約束をクリアすれば良いだけなのですが,それが出来ない二男はほんとに情けない。
今日もぶつぶつ文句を言いながら問題を解いています。
でも,二男がやっている勉強って一体何なのでしょうか。
学校の先生は評定だの内申点だの偏差値だの言いますが,そんな数字のために勉強ってするものなのでしょうか。
確かにその数字が高ければ,進路の選択肢が増え,就職の際に有利に働くこともあると思います。
でも有利になって本当に幸せですか?
いったいその有利は誰と比べて有利なんですか?
誰かよりも有利になることが勉強の目的になってはいませんか?
勉強する理由は人それぞれで良いのかもしれませんが,勉強をすることで人生が豊かになるという根本は忘れてほしくないと思います。
「何のために勉強するの?こんな勉強なんて生活に必要ないやん。」
と子どもはよく呟きます。
逆に私は聞きたい。
「じゃあ何のためだったら勉強するの?生活に必要ある勉強ならやるの?」
それも何か違う気がします。
私は「勉強は人生を豊かにすること」なんだと思っています。
それが役に立つとか立たないとか打算的なことなんてどうでも良くて,勉強することで新しい知識を得たり,考え方が広がったり,今まで出来なかったことが出来たり,新しい仲間が出来たり,自分の人生が勉強したことで新しい人生になることが大切なのです。
例えば小学校1年生が算数で1+1が2だと学びます。2とは1と1を合わせたものと考えられるようになるわけです。
そうすると3は1と1と1を合わせたものと考えることも出来るし,1と2を合せるとも考えられるようにもなります。
数字の見方が多様かつ多角になるわけです。
それは当然数字だけではなく言語も同じです。
「あ」という文字も最初はただの文字であり音です。
でも「あ」を使った言葉を学ぶと様々な「あ」になっていきます。
知的な好奇心は急激に高まります。
もっと知りたい。
もっと学びたい。
こうやって人生は豊かになっていくのです。
だから現在の進路のためのテストの制度も大事だとは思いますが,テストをすることで人生が豊かになっていくという視点で子どもたちに指導してもらえると有難いなと思います。
二男のテストは今週末にあります。
今の様子を観ているとスマホ死守は難しそうですね(>_<)
残念ですが容赦はしません。
私からしたらテストの点数よりも約束を守ることの方がよっぽど大事ですので悪しからず!