エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
ちょっといい学校話

17回目の戒めの日

8月14日は長男の17回目の誕生日でした。

私にとって初めての子どもでした。

それまでの私は子どもに関心が無く,教師の仕事と趣味のサッカーと遊びだけで満足をしていました。

しかし長男が生まれたことで考え方は一変します。

「息子のために生きる」

そんな考え方に変わりました。

 

でもそれには大きな理由がありました。

当時の私は教師の仕事で見事なまでに挫折していました。

一言でいえば私の実力不足,指導力不足,教師としての力が無かったのです。

受け持っていた学級は崩壊状態,保護者との関係も最悪,まさに自信喪失です。

きっとこれまでの私は先輩の先生や保護者,子どもたちに温かく支えられていたのです。

だから偉そうに教師ぶれていたのですが,この年ばかりはそのようにはいきませんでした。

確かにこ学級は仲間づくりに課題を抱えた学級ではありました。

でも私は一方通行の仲間づくりを行ってしまい,私が正しいと思っていることを子どもや保護者に押し付けてしまったのです。

それでも最初は子どもも保護者も我慢してくれていました。

きっと私がこの学級の課題を解決してくれると期待してくれていたのだと思います。

しかし私はたたみかけるように正解を押し付けていきました。

「何で私の思いをわかってくれないんだ」と思いをぶつけるような指導をしていきました。

その結果,ある子どもと保護者が我慢の限界に達したのです。

 

決定的な対立になりました。

もう何をしても平行線です。

そのことに気づいた時には手遅れでした。

これまでは私の思いに従っていた子どもや保護者が次々と離れていきました。

「自分を護ってくれる」と思っていた先生が「自分を護れない」と分かったのです。

私は完全に孤立しました。

それからは何とか授業だけは進め,仲間づくりは誤魔化し,早く1年を終わらせる日々でした。

私は何とかその日々に耐えていましたが,学校に行くことが怖くなり,教室に入ることも足がすくむようになりました。

放課後は管理職と学級再建の話し合い,当該保護者との話し合いという名の下の糾弾会。

深夜まで及ぶことも何度もありました。

夜は翌朝を恐れて寝付けず,朝になるとどうしようもない頭痛や吐き気に襲われました。

きっと子どもや親も私と同じように辛かったと思います。

でも私は自分のことで精一杯でした。

私はこの日々が夢であってほしいと願っていました。

自分の実力不足を棚に上げて逃げ道ばかりを探していました。

だから改善されるわけがありません。

 

今となれば当時の子ども達や保護者の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

でも当時の私はそのような気持ちにはなれませんでした。

そんなときに生まれたのが長男なのです。

私は自分が親になったことで初めて親の気持ちが分かりました。

本当に情けないです。

子どもを扱う仕事に就く身として失格だと思います。

きっと分かっている気持ちになっていただけだったのでしょう。

「子を思う親心は無償の愛」

私にはその考え方が明らかに不足していました。

だから一方的な指導をしてしまったのです。

自分が親になり,我が子がこんなにも愛おしい存在だということを学びました。

きっと当時の保護者も「先生,頼むからわかってくれ」と訴えていたのでしょう。

それからの私は保護者の気持ちに寄り添うことに努めました。

徐々に子どもの生活の様子が想像できるようになりました。

子どもの道徳的な価値観はほぼ家庭で身に着きます。

子どもが起こす問題と言われる様々な言動や行動は,子どもが悪いから起きるのではなく,子どもが生活の中で身に付けてきたものであることが分かってきました。

だからこそ学校の存在は大切です。

その価値観を交流できるのが学校だからです。

仲間と共に様々な価値観を普遍的な価値観へと育てていくのが学校の役目です。

私は子どもの作文を使って子どもたち同士の話し合い活動を大切にするようになりました。

子どもたちは自分のことを語ったり,仲間の気持ちに寄り添ったりできるようになってきました。

その結果,普遍的な価値観に目を向けられる子どもたちが増えたのです。

私はきっかけを与えただけなのに子どもたちが豊かに育っていきます。

きっとこれが「主体的に学ぶ」ということなのだと思います。

 

ちなみにこの文章だと長男の誕生を期に私が素晴らしい先生になったかのような書きぶりですが,決してそんなことはありません。

毎年毎年子どもとぶつかり、保護者とぶつかり,全力投球しながらの日々でした。

人はそう簡単には変われません。

でも変わろうと努力することはできます。

「親心」を大切にするようになったことで明らかな正解を押しつける指導は減りました。

何事も経験と言います。

しかし私がした経験は当時の子どもた保護者にとっては辛いものでした。

辛い思いをした方々のことを思うと,さすがに軽はずみに経験して良かったとは言えません。

だから私の今は懺悔の日々です。

あの経験を無駄にしたら申し訳ない。

きっとそんな気持ちです。

 

長男の誕生日が来るたびに思い出すのは,私に生きる希望を与えてくれたあの小さな姿と,当時担当していた子どもと保護者の顔です。

17年の月日が経ちましたがそれでも忘れることはありません。

今の自分はあの頃の自分よりも成長しているだろうか。

自問自答する日が今年もやってきたのでした。

未だ成長したと言い切れる自信は全くありません。

学びは終わらないということですね。

 

この出来事をブログで綴ることが出来るようになったのは成長です。

今まではとても誰かに言えませんでした。

誰かの参考になりますように。