エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
サッカー愛にあふれたうんちく話

奈良チャレンジ第1章その3

二男は私に振り回されてきました。

地元のクラブチームのジュニアチームを4年生の途中で辞め,長男の応援に行く都合に合わせて山梨県のジュニアチームに5年生の1年間所属し,コロナ禍で山梨県に行けなくなったのでまた地元のスポ少に所属しました。

中1からは奈良クラブジュニアユースに所属したことで1年間は週1で奈良まで通い,中2からは私と一緒に奈良に引越ししました。

文章で書くとこの程度ですが,それはそれはたくさんの思いを抱え,たくさん移動しました。

そんな二男もついに中3になり,ジュニアユース最後の1年となりました。

実は二男は「サッカーをやり切る」ことも目標にしていました。

ジュニア時代の反省もあり,ジュニアユースは最後まで悔いなくやり切りたかったのです。

しかし二男は長男とは違い,サッカーが1番ではありません。

好きなことの一つではありますが,長男のような一心不乱さはありません。

結局,このことがユース昇格の壁となりました。

6月の奈良クラブユースの体験練習では,高校生に混じっていつも以上に楽しくプレーしていたのですが,結局ユース昇格は叶いませんでした。

サッカーが1番。

サッカーで人生を豊かにしたいのならそれが当たり前だと思います。

実は二男はあきらめきれずにもう一度体験に参加させてもらいました。

いまさら本気になっても遅いのですが,私は本気になったことが嬉しく思っていました。

ユース昇格が叶わなかった二男は,U15の仲間と県1部リーグの試合を戦い続けていました。

なかなか勢いに乗れないU15は大事な試合を落とし続けていました。

激しいディフェンスがストロングの二男も着々と警告の累積がたまっていました。

夏になり,チームはいよいよ残留に向けて瀬戸際になっていました。

そんなときです。

二男は試合中に左足首を骨折してしまいました。

この試合は長男とたまたま奈良に遊びに来ていた三男が観戦していました。

開始早々,二男はコーナーキックのこぼれ球を直接シュートをして,かなり惜しいプレーをしていました。

きっと本人も調子の良さを感じていたと思います。

そん時にこそ事故は起きるものなのかもしれません。

不用意に飛び込んでしまって相手に抜かれた二男は慌ててボールを奪いに行きました。

いつものように激しくボールへスライディングをした二男。

左足のつま先が人工芝にひっかかり,そのままぐしゃっとひねってしまったのでした。

ボールを奪い切れなかった二男は,立ち上がってボールを奪いに行こうとしました。

でも激痛で立ち上がることが出来ずに崩れ落ちました。

もともと痛みに強い二男が崩れ落ちたのを観て,私は直感的に「やばい」と思いました。

診断結果は左足首の腓骨骨。

全治3か月でした。

二男は残りの県リーグと高円宮杯の出場が絶望となり,怪我によって無念の引退となりました。

まさかこんな形で二男のジュニアユースが終ることになるとは思いもしませんでした。

ジュニアユースのサッカーはやり切りたかった二男。

そのために奈良まで引っ越した二男。

二男にとってこの結末はやり切ったと言えたのか。

二男は奈良に残らずに地元の高校を受験しました。

「ようやくパパから解放されるから,別にサッカーはやらなくてもてもいいよ。」

私はそう二男に伝えました。

二男は自分からその高校のサッカー部に入部したのでした。