エコノメソッドでプロサッカー選手を育てるまでのブログ
(仮の題名)「サッカーが大好きな国でプレーするまでの話」

父親が息子のクラブのコーチになる

父親が息子のクラブのコーチになる

長男の練習の様子を見ていると、沸々とある感情が沸いてきました。それは「指導したい」という感情です。プレイヤーだった頃の私は指導に全く興味が無く、わざわざ休日に指導をしている仲間のことを不思議に思っていました。

しかし、長男が街クラブでプレイすることになってからの私はサッカーを学ぶことが趣味になっていました。本屋でサッカー関係の本を読み漁り、サッカークリニックは定期購入し、前述の「おれ、バルサに入る!」はもはやバイブルとなっていました。

そもそも小学校教諭が本職の私は指導のプロです。一度、スイッチが入るとサッカーの指導法にも関心が高まっていました。「もっとこんな指導をしたら子どもたちは伸びるのに」と思いながら、長男の練習を眺める日々を送っていました。

長男は小1ながら小3の子ども達と一緒にプレイさせてもらいました。長男は子どもなりにサッカーの本質をかなり理解していました。それは「サッカーには相手がいる」ということです。いつも相手を見てプレイしていました。

1年生ながら3年生の大会にも出場させてもらいました。FWとしてプレイする長男は年上相手に得点を量産していきました。

そしてついに私は長男のクラブでコーチになることを決断しました。私はクラブの代表を務めている元チームメイトに相談をしました。息子がいるクラブで父親がコーチをする例が無かったので、一度クラブで検討することになりました。

その結果、トップチームのプレイヤー兼ボランティアコーチとして採用されました。私は公立小学校の教諭でしたので有償のコーチは出来ません。そこでトップチームの選手がボランティアでジュニアのコーチをするという形になりました。

当時、トップチームは東海社会人2部リーグに所属していました。私がいたときに東海リーグに昇格し、それから残留をし続けていました。そんなチームに40歳間近で選手として復帰です。肉体的にかなりの不安がありました。それでもコーチが出来る喜びの方が大きかったです。

プレイヤー兼ボランティアコーチになった私は週4回のジュニアの練習と試合、自身の練習1回と試合という生活をスタートさせました。

この生活は想像以上に厳しく、仕事と家庭の3本柱で、時間のゆとりはほぼ無くなっていました。それでも大好きなサッカーに息子と共に関われる喜びは大きく、私達の未来は明るい方向に進んでいると思っていました。

しばらくして二男と三男もこのクラブに入団することになります。つまり我が家は私を含めて4人分の活動費をこのクラブに払い、のちにクラブを辞める4年間をこのクラブのために尽くしたのでした。

 

次回は「バルセロナキャンプに挑戦」です。