本日、奈良クラブはトップチームの監督に中田一三さんが就任することを発表しました。
実は中田さんは、私が地元の社会人チームでプレイしていたときにチームメイトであり、監督でもあります。
中田さんは私の年代の三重県民では知らない人がいないぐらいの有名人です。
四日市中央工業が冬の選手権で全国優勝した年代の選手だからです。
小倉隆史さんや中西永輔さんとともに三羽烏と言われていました。
私の一つ上の学年です。
試合会場が同じになることもありました。
実力的にも人気的にもそれはそれは雲の上のような存在でした。
時は流れ、様々な縁が重なりあって、私と仲間が地元に作った社会人チーム「伊勢ペルソナFC」の選手と監督になることになりました。
長男が生まれたのはちょうどこの時です。
当時の伊勢ペルソナFCは東海リーグ昇格を目指していましたが、入替戦での敗戦を何度も繰り返していました。
5回目の挑戦で昇格を果たすのですが、その時の監督が中田さんであり、昇格の瞬間に私をピッチに送り出してくれたのも中田さんでした。
その後は「伊勢ヤマトFC」とチーム名を変えて活動をしてました。
この頃の私は仕事と家庭の両立で大変になっていました。
これまでのようにチーム活動に参加することを難しく感じていました。
もう心がサッカーに向かなくなっていました。
ちょうどその頃、中田さんも様々な事情でチームから離れることになりました。
私も同じくチームを辞めました。
中田さんとはそれ以来です。
18年の時を経て、本日、長男がプロサッカー選手としてプレイすることになった奈良クラブの監督に中田さんが就任しました。
中田さんは私と長男の監督になりました。
縁は本当に不思議で、面白く、深いです。
まさに、人生はアメージングです。